第二の夜

この頃は仕事でも肉体ではなく、神経ばかり使ってしまい、勤務が終わる頃には疲れ切ってぐうの音も出なくなってしまう。帰りの電車は本を読む気力はなく、京成線の椅子の背もたれに凭れ掛かってぐったりしている。帰宅後、薬を飲んだあと、3時間ばかり仮眠して、おもむろに起き出す。気力、体力ともに回復している。惨憺たる第一の夜が終わり、第二の夜が始まるのだ。

「常勤(正社員)に戻って、また俺達と一緒に頑張ろうよ」大将は昔の同僚のよしみで励ましてくれる。有り難いお言葉だけど、常勤になると、月4~6回夜勤に入ることになる。夜勤をやると、例の持病が悪化して、私は人間の体を為さなくなる。「人間やめますか? それとも介護やめますか?」と、医者に訊かれたら、私は迷うことなく、介護を辞める。これが本当のヒューマニズムである。

今月中に『山谷の基督』の草稿を先方に送らなければならないが、この数日間、稿を進めることができなかった。資料を渉猟して書くというより、実際の記憶を精製して書く、という感じである。このブログのように適当に感想を書く訳ではないので、けっこう集中しなければならない。やはり、書く前は落ち着かなくて、煙草を吸ったり、酒を飲んだり、お祈りしたりするけど、それでも相対的に量をこなすうちに慣れるだろう。資料に頼るのではなく、記憶と経験に従って書く。これが私の文学の基本的な方法になるだろう。資料に頼ってはいけない。私の場合、衒学に走って、やがて行き詰まるだろう。

今は主にブログとルポルタージュを書いているが、生産性をさらに向上させたければ、小説、短歌などの複数の原稿を同時に書き進めるのがいいだろう。いい気分転換になるし、ジャンルなど、やがて気にしなくなるだろう。辻邦生は書いていると、現実の惨めな自分を忘れることができると『小説への序章』で書いていた。そのレベルまで早く上昇すること。

辻邦生