清濁併せ呑む

哲学者 森有正の情婦による回想記メモワール

そう言ったら著者の栃折久美子に怒られそうだが、相方の森有正は否定しないだろう。「不倫は恋愛のもっとも純粋な形式である」と、彼はどこかの定義に書いていたはずである。

本書には辻邦生など、森が生前親しくしていた人々が等身大の姿で出てくる。辻の評論・回想記に『森有正:感覚のめざすもの』というものがあるが、こちらは小説家のペンを通して析出された哲学者の姿だが、栃折久美子の『森有正先生のこと』は装幀家が人生の黄昏にようやく綴った等身大の男の姿である。その不慣れな筆致からは、森の他人の厚意に頼らざるをえない生き方、ある種の常識外れ、金遣いの荒さなどが伝わってくる。気難しい、わがままな人間だったことは確かだ。

臼井先生は心配して、私をさそって早めに会場を出て、新宿の酔心へ連れて行ってくださった。

「謎を残して死んだね。」

何と答えたか覚えていない。

「辰野隆さんと渡辺一夫さんが、長い間かかって考えたが、結局、わからん、ということだったそうだ。なぜか最後には、みんな金のことが出てくるそうなんだね。何だったんだろうね、あの人は。」

私が森有正から倣ったことは、人は己の人生を生きようとすれば、常軌を外れざるをえないという事実である。そのためには勇気と覚悟が必要だし、人の厚意に頼らざるをえない場面も多い。金を無心する時もあるだろう。清濁併せ呑み、己の人生を生き抜いてしまった森有正は、私の中で偉大な哲学者で在り続けるのである。