居間に炬燵を敷いた。およそ5年ぶりのことである。私が幼少の頃、私たち家族は、椅子と食卓で暮らしていた。80年代から90年代のことである。一方、居間には卓袱台らしきものがあり、そこに座布団を敷いていたが、食事の際はいつも、食卓と椅子で決まっていた。早朝、食卓に流れるラジオの調べとパンとコーヒーの匂い。今思うと、私達はけっこうハイカラな生活をしていたのだ。
0年代を過ぎると、私達は炬燵と座布団中心の生活を営み始める。そして、食事も決まってここで摂るようになった。それは一見、和風にして平凡な、庶民的な習慣だが、私はこれを下降と見る。それはあくまでも習慣に過ぎないのであって、生活様式ではないのだ。様式とは何か? それは或る規則に基づいた緊張に満ちた形姿である。以後、私達の生活は弛緩の一途を辿る。
自分の生活様式に自覚的になり始めたのは、当然、一人暮らしをし始めた時であって、私も初めは実家の習慣に従い、炬燵を用意した。その上に本とPCと珈琲を置き、当時、飲み始めた睡眠薬の効能でボンヤリした頭で、本当によく勉強した。当時読んだ、森有正『バビロンの流れのほとりにて』は忘れられない。「現実が夢に還ってくるというこの過程。パリは僕にこのことを教えてくれた」という一節は、今でも私の心に深く刻まれている。その後、炬燵の放射熱はPCに悪いということで、何か解決策を考えなければならなくなった。転職、引っ越しを機に、私は大塚家具で、文机を購入した。これは今日に至る私の静かな相棒である。そこにPCを置き、私は読書と執筆に励んだ(当時は大して書けなかったが)。今思えば、炬燵は仕事には不向きだが、勉強には有用だという事実である。長く坐っていると、足がしびれるので執筆には向かないが、適宜体勢を変えながら、ゴロゴロ本を読むことができるので、意外に読書が捗るのである。私はかつてマルキストだったが、実家の炬燵に当たりながら、『資本論』を読んだものである。闘争と革命の書物を、ぬくぬく炬燵に当たりながら読むな、と言われるかもしれないが、当時そういう読み方も許されていたのだ。
本来、私の生活様式に炬燵を置く余地はなかった。私にとって食卓は団欒の、文机は戦闘の、炬燵は怠惰の象徴である。親元を離れて、個人として生活を始めて以来、私は炬燵のある生活を否定し去ってきた。私が再び居間に炬燵を置いたのは妥協の結果である。しかし、晩秋の寒さに震えるこの頃、秋の夜長に気楽に大量の読書をしたことを思うと、炬燵も悪くないか、とにわかに思うようになった。私を日和見主義者、修正主義者と嗤ってくれてもいい。