BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

Reconguista in K

1年と半年前、私が職場を異動する時、同僚の還暦過ぎのおじいちゃんが言った。

「伊興1から文化人がいなくなる!」

文化人……今日では杳として聞かれなくなった言葉だ。戦後、市民的/民主的知識人を「進歩的文化人」と称したが、私がそのカテゴリーに該当するかは分からない。否、むしろ、客観的、主観的にも拒否するだろう。私の読書の傾向として「新もの食いはしない」ことが挙げられるし、そのために私は古典ばかり読んでいる。単純に不勉強なのかもしれないが、三十路も半ばを過ぎると、新しい物を追うことに疲れた。嵐山光三郎に倣って「退歩的文化人」と言いたいくらいだ。でも、内心では、南原繁、矢内原忠雄のように「キリスト教文化人」と呼ばれると嬉しい。

それはともかく、私が介護をしてよかったことは、資格を得て、肉体的、精神的に逞しくなったことが挙げられるが、実はこの間、生活は崩壊している。アルコールを飲む量は出版社の頃とは比べものにならないし、それ以上に家の中が一気に汚くなったことだ。「この部屋を見ると、やっぱり、鬱とか精神的な闇を抱えてそうだよ」と、ある友人が言ったが、それは正鵠を得ていて、介護に従事していた3年間は躁鬱病が寛解すると同時に、その実在がますます明らかになった期間だった。生活が、性格が、薬によって左右された日々と言い換えることができるかもしれない。

——と、これまで思い出を連綿と書き綴ってきたが、単刀直入に言うと、部屋が一気に綺麗になった。これに至るまで私個人の力では到底及ばない、この頃仲良くなった或る人のおかげだが、その仕事ぶりは私の旧来の個人主義的人生観を揚棄させるのに十分だった。日本国憲法第25条は次のように定めている。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

出版であれ、介護であれ、私が職業生活を通じて経験したことは、仕事に一所懸命になり過ぎると、生活は崩壊するということである。生活を犠牲にして仕事に邁進した私は、健康も文化も奪われた。今後の私の人生は失われた両者を回復することに賭けられている。

——全人的復権リハビリテーション領土復権レコンギスタ


  1. 私の勤務する特別養護老人ホームの所在地。足立区伊興のこと。