惜別

7月29日をもって、私は松戸の有料老人ホームの勤務1を終えた。8月2日からは伊興の特別養護老人ホーム2に勤務することになる。退職ではなく、異動である。後者は私が介護の「か」の字も分からない、新入職員の頃から勤めていた施設である。つまり、古巣に出戻りである。

松戸に来た当初、私は伊興の特養で一人前になったと思っていたが、それは傲慢な、おこがましい考えだった。私は松戸でかなり苦戦を強いられた。こだわりの強い、要求の強いお客様の対応に兢々としたし、なによりも、ひとつのフロアを一人で担当する、一人ワンオペ夜勤がきつかった。肉体的には負担が少なかったが、精神的には負荷が大きかった。夜中の丑三ツ時に食堂の床にひざ掛けを敷いて眠り、コールが鳴ったらその都度、対応することを続けていたら、私の中で何かがキレた。会社に出勤している以上、同僚でも上司でもいい、私の他の誰かに話しかけてほしかった。会社で働く理由は金だけではない。孤独は自宅で十分である。

閑話休題それはともかく、私は伊興の特養で2年間働き、松戸の有料で1年間働くことで、めでたく一人前の介護福祉士になったのだから、私は両者に感謝しなければならない。片方だけでは肉体的にも精神的にも持たなかったし、それぞれ違う業態で勤務することにより、介護の広さ、奥深さを知ることができたのだから。いずれにせよ、私の松戸の冒険は終わった。

衆知のとおり、私は酒徒であるが、その土地、その街を離れるとき、私は居酒屋でも酒場バーでもなく、ラーメン屋に向かう。そこで酒はいっさい口にしない。ひたすらラーメンをすすりながら、その土地、その街の人々を思い出しながら、来し方行く末に思いを馳せるのだ。松戸では武蔵屋を贔屓にしていたので、最後の出勤日はそこで夕食を済ませた。そこで私は常連として認められているらしく、店員が煮卵をサービスしてくれた。

かつて、私は極めて短い期間、板橋の赤塚に住んだことがあったが、そこを離れる時も、私はラーメン屋のカウンターに坐っていた。今では味はほとんど覚えていないが、私は一人ぽつねんと、無言でラーメンをすすっていたことを覚えている。

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  1. 以下、「有料」と記す。

  2. 以下、「特養」と記す。