BOOKMAN

Takashi Kaneko

キリスト者の修行

次の主日には、チャペルの広報誌『レンガと蔦』の座談会企画のために、群馬県榛名に取材旅行に行く。そのために前日の土曜日には禁酒をして、体調を万全に整えておく。この頃、思い悩むことがあって、暴飲暴食に走っていたが、気を取り直して、節制、節約に務めなければならない。

先週まで疲労から来る抑鬱に悩まされていたが、よく食べ、よく飲み、薬を飲んだら治ってしまった。やはり、薬すなわち抗精神病薬は毎日飲んだ方が良いらしい。アリピプラゾールは睡眠前、起床後、どちらで飲んでも大して変わらないので、1日1回、気づいた時に飲んでいる。頭がぼうっとするなどの副作用はない。穏やかに落ち着く感じである。

会社ではコンピューターに詳しいおじさんと思われているらしく、「PCマスター」と呼ばれている。実際、週末のIT系の講座の立ち上げに関わっている。仕事を通じて、苦手意識のあったExcelの学び直しができるのは有り難いと思っている。このままプログラミング言語の一つや二つを覚えるのも面白いかもしれない。

一方、会社の仕事の肝は本来業務である就労支援だ。これは大きな困難を抱えている。私は主に学生の利用者を抱えているが、彼等が無事卒業、就職して、社会に出るのを後押ししなければならない。これは結構大変な仕事だ。私はキリスト者の修行として、この仕事に取り組んでいる。実際、障害福祉とキリスト教は相性が良いと感じる。介護福祉(高齢福祉)の苦しみと比べると雲泥の差だ。

鬱の季節

季節が晩夏から初秋に移る中で、私は鬱に落ち込み始めている。

チャペルキャンプの準備をしている時からそうだったのだが、教会の仕事はもとより、会社の仕事も徐々に追い付けなくなってきた。先日、会社の上司から「兼子さんのキャパシティが心配です」と言われた。その場では「最近、疲れが抜けないんです。でも、新しい仕事をしているから、多少、他の人よりも時間が掛かるのは仕方ないことです」と答えた。

確かに、この疲れは新しい仕事を手掛けていることに起因することは大きいだろう。障害福祉の一分野である、相談・対人援助は、介護福祉の直接介護よりも相当やりがいがあるけど、のめり込みやすく、気持の切り替えが難しい。特に今では、CybozuやOneDriveを使って、職場、自宅とわず、どの端末からでもアクセスできるから、働く場所を選ばない。これによって救われている部分もあるが、ワーカホリックを助長している感じは否めない。

これまで酒と煙草でごまかしていたが、とうとう精神症状を自覚するに至り、今ではコンスタントに抗精神病薬を飲み始めた。今後、40代を迎えて、腰を据えて仕事に取り組むには、継続的な服薬が必要になるだろう。もうその時期に来ているのだ。

チャペルキャンプ序文

聖霊に満たされて天をじっと見つめていたステファノは、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た。

『使徒言行録』7:55

今年のチャペルキャンプのテーマは「風と共に行く」。キリスト教で風は聖霊、すなわち神の息吹を表しています。聖霊は父と子から出るとともに、三位一体なる神そのものであり、命の与え主です。私たち被造物つくられたるものは、神の息を吹きかけられ、注がれることによって、人として命を得て、生き、働くことができるのです。

聖霊に満たされると、私たち一人ひとりは己が与えられた使命を知り、それを実現するために此の世に遣わされます。イエスはキリストであることを力強く証ししたステファノは、殉教者として悲劇的な最期を遂げますが、彼の心と体はつねに聖霊に満たされ、己が使命を全うしたのです。

私たちが住む世界には聖霊が満ちています。それは言い換えると、愛に満ちているということです。愛に触れると、私たちの存在と行動は変容します。チャペルキャンプがそのための機会になることを希います。

キャンプのしおり

幸いにして、昨日は国民の祝日——会社が休みだったので、一日、チャペルキャンプのしおり作りに当てた。

しおり作りは私の仕事/趣味みたいなもので、私がキャンプの責任者を務めるようになってから、毎年引き受けている。作業環境はWordではなく、もちろん \LaTeXで、テキストファイルにコードを記入しながら、画像などを貼り付けていく。 \LaTeXなんて、前時代の技術のようだが、PDFファイルをそのまま文書中に組み込めるなど、Wordに比べて利点も多い。LinuxとWindowsでほぼ同じ環境を作れるのも強い。

以前に比べて、作業が楽になったのは、 \LaTeXのコマンド検索やデバッグにAIを使えるようになったのが大きい。ググっていた頃に比べると隔世の感がある。私は文学など芸術においてAIを使うのは完全に反対だが、コンピューティングなど純粋に技術的な次元では、AIは大いに活用されてよい。

話は逸れたが、キャンプのしおりを作っていると、ああ、キャンプに行くんだな、という実感がふつふつと沸いてくる。この数日、雨模様の天気だが、7月に比べると涼しくなって、徐々に晩夏の気配が感じられてくる。八王子の夏の日が楽しみである。

孤独と社交

8月に入ると、火曜日が定休日になった。今日は自宅で落ち着いて過ごせる初めての休みだ。最近は会社の仕事以外に、キャンプの準備で教会の仕事も忙しいので(その後、兄弟姉妹と飲みに行ったが)、しばらく纏まった休みが取れなかった。

働き過ぎて普通に疲れている。気分が持ち上がらず意欲が湧かない。ちょっとした鬱状態になっている気がする。抗精神病薬を飲めばいいが、なんだかその気にならない。代わりに酒と煙草でごまかしている。特にこれといった手当をすることなく、時間とともに肉体、精神が回復するのを待つしかない。

しかし、今回の鬱の原因はいったい何だろう? 単純に体力が低下しただけなのかもしれないが、それ以上に人交わりをし過ぎたような気がする。人疲れ、という奴だ。業界新聞で働いていた頃、先輩に「君は社交性のお化けだ」と言われたことがあるが、これは私の生来的な特性ではない。

私の途轍もない社交性は、文学修業によって表現力が磨かれたこと、「天才病」とも称される躁鬱病を発症したこと、教会の兄弟姉妹と言を分かち合い、強められていること(世間一般の人々に比べて、明らかに人慣れしている)、あるいは単に歳を取って面の皮が厚くなったことに起因している。

こういうふうに書いていると、だんだん気分が持ち上がってきたような気がする。コーヒーを飲んで、煙草を吸ったら、なんだか元気になってきた。しかし、それでも今日は神と繋がる孤独の時を持ちたい。キリスト者にとって、孤独と社交は車の両輪なのである。

土曜出勤

会社の新規プロジェクトに参加するために、8月から土曜出勤になった。その代わり火曜日が定休日になったので、今のところ週5日勤務である。日曜日はちゃんと安息日だから善い。教会で祈り、学び、働くことは、会社で働くのと同じくらい、あるいはそれ以上に今の私の生活を支える基盤になっているのだ。

しかし、先々週から続いていた障害福祉のオンデマンド研修で、深夜起きていることが多く、神経がすり減っているので、身体が疲れ切っている。眠っても興奮しているのか(躁なのか鬱なのか知らないが)、3時間くらいで目を醒ましてしまう。布団に横になっても手持ち無沙汰になってしまうので、床から起き上がって、机に向かって、文章を書いている。私に読み書きする習慣があってよかった。文学がなければ、私は病に負けて、深く落ち込んでしまっていただろう。

最近は忙しく、正直、仕事に追い付いていないが、40代は働き盛り、男盛りなので頑張りたい。

同情するならカミをくれ

今日をもって、東京都サービス管理責任者のオンデマンド研修が修了した。サービス管理責任者(通称:サビ管)とは、障害福祉サービスの事業者が、利用者の個別支援計画を策定するのに必要な資格のことである。要するに、就労移行支援、就労継続支援(A型・B型)の管理者は必ず持っている。裏を返せば、障害福祉事業で開業したければ、必ず持っていなければならない資格である。

私は今勤めている会社に就職するにあたって、介護福祉士の資格と、4年間の実務経験が評価され、また、サビ管研修の受講資格をクリアしていたので、入社早々、この研修を受講する運びとなった。

しかし、会社の代休を使ったとはいえ、日中、ますます忙しく、難しくなる仕事をこなしながら、深夜、研修の動画を眺めるのは精神的・肉体的に酷だった。オンデマンド研修は受講してから修了するまで1週間が期限。このあいだに約20時間に及ぶ動画を視聴しなければならない。障害福祉に関わる事業なのに、東京都はまったく優しくない。

「同情するならカミをくれ!」

幸いにして、動画の他に講義で使用していたスライドが配布されていたので、動画は流し見して(最後の方はまったく見ないで)、講義のスライドをすらすら読んで、勉強に励んだのであった。そしたら、あっという間に終った。20時間も要らなかった。文書かみは動画より強し。