麦芽には栄養がいっぱい

ヘミングウェイの『移動祝祭日』の中で、彼が人に勧められた蒸留酒を断るシーンがある。「僕はビール党なんでね」

夕方、読書や執筆をする時にたいてい片手にビールがある。ワインの時もあるが、ウイスキーはほとんどない。何か活動している時に私は強い蒸留酒はほとんど飲まないのである。

アルコール度数5%.何かをしながら酔うには、ほどよい酒精の強さである。私にとって、ビールは滋味豊富なパンのごときものである。完全栄養食に近い。だから、御飯の代わりにビールを飲むこともしばしばである。私の思考地図マインドマップにおいて、ビールはパン、ワインはジュース、ウイスキーとジンは抗鬱薬ないし睡眠薬という位置づけである。醸造酒はナチュラルだが、蒸留酒はケミカルである。後者は前者から酒精の本質アルケーを蒸留したのだから当然である。化学の起源は錬金術である。理性と狂気の為せる業である。

話が逸れた。この頃の私は肥えている。お腹が出ている。人はふつうアル中になると、栄養失調でガリガリに瘦せてしまうが、私は逆に太っているのである。ただの食べすぎ、飲みすぎである。しかし、これがチューハイやハイボールばかり飲んでいては(けっして嫌いではないが)、私の血と肉、いやいや、脂になりえないだろう。私が順調に肥えてきて、旨そうな中年に成長しているのは、ひとえにビールのお陰なのである。

傭兵のごとく

昨日は帰りがけに、350mlの缶ビールを飲んで、家に帰ったら、そのまま寝てしまった。8時間くらい眠っただろうか。目覚め爽快。この頃の私は酒の力を借りなくても、よく眠れるようになってきた。

最近はじめた習慣として、リュックサックにノートパソコンを忍ばせて、会社の行き帰りと休憩時間に執筆するようにしている。昨日は短歌を2首書いた。やはり、つねに原稿を書ける体勢にしていると強い。身体と精神が24時間創作のために構えている感じである。

この常時パソコンを携帯する仕事のスタイルは、朝日新聞出版で派遣社員をしていた頃に、業務委託として勤めていた編集者から学んだ。彼は会社から支給されたWindowsPCと愛用のMacをまるでトレーダーのように机に並べて、モニターを凝視していた。そして、会社の行き帰りや、取材、打合せに行く際は、必ずMacをリュックサックに忍ばせるのだ。その姿はまるで、ライフルを背負う傭兵を見ているかのようだった。

彼は書籍編集のみならず、動画編集もこなしていた。この点に関しては、私は逆立ちしても彼に敵うことはできない。そのクオリティは、凡百の結婚式の披露宴で流れる作品のレベルを遥かに凌駕していた。「圧倒的ではないか」というギレン・ザビの声が聞こえてくる。

私が彼に勝る点があるとすれば、それはコードを書けることである。私がTeXを始めた時、彼は嘲笑ったが、それは私が本当に文章を書き始める転換点ターニング・ポイントであった。TeXを契機に私はコマンドラインの使い方を覚え、HTMLなど、その他のマークアップ言語を覚える嚆矢になったのだ。出版・印刷においては、今だWordやInDesignなど、WYSIWYGのソフトウェアが支配的だが、私にとっては、WYSIWYMの文章構造を明示するスタイルの方が合っていたのである。

あと、彼はマウスがなければコンピューターを操作することができなかったが、私はタッチパッドがあれば十分である。むしろ、いちいちホームポジションから離れる必要がないので、その方がいい。これは努力と忍耐、そして習慣の賜物である。

委託

昨日、会社の上司に(進退)について面談したい旨を伝えた。最後は意地の張り合いの様相を呈するのではなくて、今後の私のキャリアビジョンについて静かに語り合うのだろう。私は現場の介護福祉士としてはよくやった。頑張った。ここまで来ると、恨み、辛みもない。晴れやかで、清らかな達成感があるのみである。

今後、私がどのような企業に身を置くのか分からないけど、もはやライターの仕事に拘らなくてもいいと思うようになった。たとえば、広報担当者でもいい。あるいは電子書籍を制作するエンジニアでもいい。ただ一つ共通しているのは、私の介護福祉士の資格を評価してくれる会社に行きたい、ということである。その方がお互いにイメージしやすく、仕事が決まりやすいというのもあるが、私はまだ福祉に未練があるようなのだ。現状はたとえ、技術革新がなく、停滞していて、その結果、低賃金であろうとも、私は理想と技術によって、それを変えたいと思う。だから、私が今まで携わってきた出版と福祉を組み合わせる、少なくともそれを架橋する仕事がしたいのだ。

先日、訪問介護のアルバイトを辞めた時、事業所の所長に言われた。「介護のことも書いてくださいね」その瞬間、私は託されたのだ。これからは己のエゴだけでなく、人々の期待に応える仕事をしたいと切に思った。