BOOKMAN

Takashi Kaneko

夜に働く

平日は午後8時に寝て、午前0時に起きる。そして、少し作業して、午前4時に眠り、7時半に起きる。そんな生活を週5日続けている。普通の勤め人の生活とは違うような気がするが、持病のせいか、体質のためか、8時間続けて眠れないので、このような生活を続けている。

しかし、深夜起きていることで、昼の会社の仕事以外の仕事、活動ができるので、重宝している。この頃は教会の仕事は、だいたい夜にやっている。また、個人の文筆の仕事、勉強もたいてい夜に励んでいる。夜は私にとって、世間の雑事、特に会社の仕事を忘れられる、極めて生産的な時間なのである(酒に酔って、無為に過ごす時もあるが……)。

初夏の浅草

週末、気まぐれに浅草に行くことが増えた。昨日は押上から浅草まで歩いた。観光をしようと思ったが、古巣のBar お酒の美術館が浅草にもあったので、つい立ち寄って、イッパイ飲んだ。このご時世にローヤルやリザーブをワンコインで飲めるのは嬉しい。

私たちは忘却する生物いきものだから、文学という業をやっている。20代の物心ついた頃からそう思っている。世人から見れば、私はけっこう遊んでいるのかもしれないが、文学とキリスト教の修行を欠かしたことはない。今後、この路線をさらに加速させたいと思う。

平日禁酒

禁酒が奏功したのかは分からないが(といっても、金曜日から日曜まではがっつり飲んだが)、口の中に不快な苦みが拡がる症状は無くなった。あの苦みは胆汁など実体的なものなのか、それとも、精神的・神経的なものなのかも分からないが、転職などの新生活が始まって、いろいろとストレスが重なったのは間違いないようである。

今まで躁鬱病の薬のひとつである抗精神病薬を頓服のようにして飲んでいたのだが、今後は定時薬としてコンスタントに飲んでいきたい。この頃の私は躁の症状を抑えるのが課題だが、鬱に落ち込んで動けなくなる時もたまにある。安定かつ継続して仕事をするためにも、躁と鬱のギャップを少しでも減らしたいのである。

アルコールを控えるのは気分の安定に寄与するだろうし、何よりも、内臓、肝臓、食道を初めとした内臓を休ませてくれるだろう。この10年間、酷使させ過ぎた感がある。可逆的に回復するかは心もとないが、養生すべき時が来たと考えて差し支えないだろう。私は今年で40歳になる。もう若くない。

よって、月曜日から木曜日の平日はオツキアイを除いて、基本的に禁酒しようと思う。平日我慢した分、金曜日の夜更け、酒場バーで飲む酒、土曜日の夕べ、友達の家で飲む酒、日曜日の昼下がり、教会の人たちと飲む酒は堪らなく美味しいだろう。そんなことを考えながら、会社に勤めている平日は禁酒に励んでいる。

禁酒3日目

先週の金曜日から、口の中にインスタント・コーヒーのような苦みを覚えて、食べ物、飲み物を美味しく味わえなくなった。特に酒を飲んでいる最中とその後に強く感じる。ちなみにコーヒーを飲んでも同じような症状が出る(むしろ、コーヒーの方がその傾向が強いかもしれない)。

日曜日、チャペルの会衆委員会の最中に胸焼けで苦しくなったので、隣の教父に、口の中の苦みの症状と併せて伝えたところ、「逆流性食道炎ではないか? 悪化すると、酒はもちろん、炭酸水も飲めなくなる」と言われた。彼の見立てに私はにわかに戦慄を覚えたが、昼下がり軽くイッパイ飲みに行こう、と二人連れだった。結局、その日は夜更けまで陰々滅々として飲んだ。

挙句の果て、翌日月曜日は二日酔いではないものの、やはり、口の中に嫌な苦みが拡がっている。胸焼けはしないが、なんとなく、胸と喉に痞える感じがして、咳まで出る。コーヒーなどの刺激物を摂るとますますこの傾向が強まる気がしたので、やはり、主たる原因は酒ではないか、と確信した(Copilotに訊いたら、胃酸と胆汁が喉に溢れ出る、逆流性食道炎の症状ではないか、とのこと)。このまま一生、口の中が苦いのは嫌だ。命も惜しい。よし、今日から友達とパーティーをする土曜日まで禁酒をしよう。

今日で禁酒3日目になる。口の中の不快な苦みは少しずつ落ち着いてきたようで、慢性的な下痢も改善されてきている。身体が軽くなったようだ。あと、すでに知っていたことだが、酒を飲まなくてもちゃんと眠れる。特に禁断症状もなく、酒を渇望することもない。土曜日のパーティーまでに頑張って禁酒を継続できそうだ。

今回、体調を崩したことを契機に、今後、酒を飲むのを控えたい。飲酒(晩酌ではない、時間は関係ない)は金曜日、土曜日、日曜日に限定して、月曜日から木曜日は酒を飲まないようにしたいと思う。ようやく普通の勤め人みたいになったか、という感じだが、今まで相当劣悪な現場で働いてきたから仕方ない。酒を浴びるように飲まないと、やってられなかったのである。その点、たとえ給料が低くても今の会社に就職したのは良かったし、40歳は健康の折り返し地点なのである。

ご依頼は突然に

会社の研修のために千葉市の湾岸通りを歩いていると、携帯電話がピコンと鳴った。この頃は使う機会がめっきり減った、Chatworkからの通知だ。確認すると、ご無沙汰していた介護福祉系のWEBディレクターからの連絡だった。「立て続けのお願いですみません。記事を3本書いてくれませんか?」

先方に最後に原稿を納品したのは半年前。私の原稿の質が至らなかったのか、先方の事業予算上の都合かは分からないが、以来、連絡・依頼が途絶えていたのだ。案件は以前と変わらず、介護福祉系の記事。現在、障害者就労移行支援事業所で働いているとはいえ、障害福祉と高齢福祉(介護福祉)は近くて遠い仲である。今の私に書けるだろうか?と一瞬ためらったが、「お引き受け致します」の一つ返事で快諾した。断る、という選択肢は私に与えられていないのだ(書けない、という選択肢も与えられていない)。

こうして、一時は「キリスト教文学以外は書きたくない」と息巻いていた私だが、クライアント様から仕事を賜ることで、介護福祉などの多分野の記事を執筆することになる。今回、ご依頼してくださった先方には、私が現在、障害福祉の分野で仕事をしている旨をお伝えして、今後、機会があれば、その方面の仕事を貰えるように掛け合ってみよう。そんなヨコシマなことを考えていると、精神保健福祉士の資格を取ることに対して、ますます意欲が湧いてくる。

しかし、サラリーマンをしながらも、介護福祉分野の記事制作を頼まれたり、バーのヘルプを頼まれたり、いろいろ活躍の機会があるのは嬉しいかぎりである。内心ではキリスト教文学を本領にしたいけど、他業界、多分野で働くのも楽しいし、私らしいではないか。これまでイロイロな職を転々としてきたけど、思いがけない所で役立つものですな。

修道院から酒場まで

新年度の疲れが溜まったのか、昨夜、発熱、鼻水、咳など、風邪の症状が発現した。そのために今日は会社を初めて休んだ。職場の人々に迷惑を掛けてしまったが、チームプレイで乗り切ったとのこと。個人事業ならばともかく、会社の仕事は人々の協力で成り立っているとつくづく思う。

遅ればせであるが、ゴールデン・ウィークの出来事について記したい。

5月3日は主日礼拝の後、連れ合いと北千住、金町を散歩した。定食屋、バーなど隠れた名店を発掘して、ご満悦であった。しかし、北千住はどうして、こんなに美容室が多いのだろう? 完全に供給過多だと思うが、それでも成り立っているから、不思議なものである。

4日は三鷹にある、聖公会の修道院「ナザレの家」で、黙想会に参加してきた。1泊2日、人と会話を一切交わさない沈黙の日々。私は今回、2回目の参加であるが、2年前の1回目に比べて、黙想も、聖書の読解も上手く出来たと思う。修道院ではパソコン、スマホ等の電子機器の使用は一切だめなので、私は紙とインクとペンで、手書きしながら思索した。このプリミティブな方法が奏功したようである。最初は駄目な落第生でも、諦めずにまた参加してみるものである。

5日は聖餐式をもって、三鷹の修道院を後にすると、小岩の自宅に帰って、スーツに着替えた。Bar Jamの手伝いに行くためだ。マスターの一人、長谷川さんが急遽、休まざるを得なくなったので、スポット要員として働いてほしい、と予め打診されていたのだ。

午後9時にJamに行くと、カウンターは満席で、マスターの大津さんが忙しく働いていた。急いでカウンターの内側に立ったが、初めての現場で要領がよく分からない。1ヶ月ぶりの飲食の仕事なので、最初はアタフタしながら働いた。

と、ゴールデン・ウィークの中日は一見のお客さんも多くて、バタバタだったけど、日付が変わる頃には、常連のお客さんで固まって、だいぶ落ち着いてきた。お客さんからホープの紙巻を貰ったので吸ったが、カウンターの内側で吸う煙草は美味いな、と思った。動きもだんだんこなれてきて、ウイスキーのストレート、常連さんのためのハイボールならば、自分で作らせて貰えるようになった。

午前5時に閉店クローズした後、大津さんに連れられて、小岩の飲み仲間たちとともに、場末の酒場でイッパイやった。結局、帰宅したのは午前8時。Bar Jamでは本当によく飲み、よく働いた。帰り際、「またよろしくね」と大津さんに言われたので、今後、周年、誕生日に出動の機会があるのかもしれない。その時は予備役のバーテンダーとして再び働きたい。

修道院で祈り、酒場で働く。この一連の行為は、私の人生の軌跡を象徴的に暗示しているのかもしれない。

働くに時あり

新しい会社、職場で働き始めて、1ヶ月が過ぎた。あっという間に過ぎた気もするし、かえって時間がゆっくり流れたような気もする。上司・同僚がすべて女性という環境の中で、ストレスもあったし、孤立する時もあったけど(入社後の歓送迎会で洗礼を受けたようだ)、徐々に仕事と規範を覚えて、今ようやく馴染んできたような気がする。

入社当初は3年ぐらい居ればいいかな、と思っていたけど、1ヶ月働いてみて、少しずつ仕事を覚えていくと、5年くらい居てもいいかな、と思えるようになった。ストレスの少ない仕事で、それなりの収入を得られるのは有り難いことだし、何よりも挨拶が行き交う職場なので、風通しが良く、仕事もしやすいと感じている。

とにかくストレスが少ないのが決め手である。給料は二の次でいい。そうすれば体と心に変なストレスが掛かることなく、暴飲暴食に走らずに済む。無駄な消費が抑えられるので、自然に貯蓄ができる。健康と経済の好循環が生まれるのである。

1年、2年経った頃には、大学の通信課程を受講して、精神保健福祉士の資格を取りたい。この頃はキリスト教に熱心だが、私にはまだ世俗で働くべき仕事があるのである。あめが下のよろづの事には期あり。萬の事務わざには時あり1。——。


  1. 『傅道之書』3章1節。