専門

昼休み、普段は自分の席で簡単に済ませるか、外食してもすぐに戻ってくるのだが、昨日は居たたまれなくなったので、なか卯で食べたあと、四ツ谷税務署の近くの公園でぶらぶらしていた。公園には私のように会社に居場所のないサラリーマンが点在していた。

方針はすでに決まった。私は編集者ジャーナリストとして、キリスト教を専門にしたい。キリスト教を心棒にして、文学や政治学が展開されるという認識だ。多分、これが私が権能ちからを最も発揮できる存在様式だと思う。

しかし、出版復帰1年で、成長著しいとはいえ、過酷な社会的境遇に追い込むのは、私にとっても意外だった。3、4年くらい働けると思ったが、1、2年で終わってしまうとは……。新聞という古典的なメディアを基盤にした人間的な繋がりに未練はあるが、現状では物書きとしての成長の速度は確実に鈍化するので(結局、作家や一流紙の記者に太刀打ちできなくなる)、自分で自分を育てる環境を作らなければならない。その点、教会は私にとってそれを実現する場所だし、聖書を飽かずに読めることも幸いだと今は思う。

Lost Generation

深夜、坂本龍一の"Energy Flow"を聴く。失われた世代ロストジェネレーションのしがないサラリーマンには染みるものがある。今まで坂本龍一の楽曲というと、YMOしか聴いたことがなかったが、その後の作品を私はちゃんと聴き、正当に評価してこなかった。現代の作曲家は岩代太郎、千住明が好きだが、もう少し勉強して考えを改める必要がある。

サラリーマンを続けるのは今年度が限界だと思う。今、動かしている仕事を責任をもってやり遂げたら、それで終わりである。会社からテーマを与えられるのではなく、自分で仕事のテーマを見つける。己の問題関心がある者は幸い。


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存在様式

明らかにサラリーマンに向いていないと感じる。近頃は職場で笑うことが少なくなった。会社は笑う所ではないが、笑わない奴は仕事ができないと相場が決まっている。

入社1年で人脈と情報の連関つながりができたので、ようやく仕事ができるようになったが、このままでは私は仕事ができない人に成り下がるだろう。健康にも支障を来たすかもしれない。

年度末とは言わず、今、私が編集を担当している著者の原稿を仕上げた後は、潔く身を引いた方がいいのではないか。私は大手の新聞記者を尊敬しているし、それなりに過酷な現場で仕事をしていると思うが、サラリーマンとジャーナリストは矛盾する存在様式である。私は今、自分で自分を救う段階に来ている。

復活祭

3月30日には立教学院諸聖徒礼拝堂で聖土曜日礼拝を、3月31日には復活日礼拝に参列した。

2023年の復活祭イースターに洗礼を受けた私は、キリスト者としてようやく1年経ったんだな、とようやく実感が湧いてきた。その歩みは遅々としているし、あまり褒められたものではないが、私の人生は確実に新しい段階に入ったという自覚がある。

復活祭、特にその前日の復活徹夜祭に参加すると、洗礼を受けた頃、また、それに向かってひたむきに頑張っていた自分を思い出す。2023年の3月は、私はまだ老人ホームで介護をしていて、教会の聖餐ミサに与かるために、すべての希望休と有休を日曜日につぎ込んでいた。12月24日に有休を入れたら、25日も自動的に休みになったが、あれは上司の粋な計らいだったのだろうか。たぶん、私はすでにキリスト者として認識されていたと思う。

洗礼と堅信は私の死からの復活を象徴する秘儀であると同時に、それに至るまでの道程は出エジプトエクソダスそのものだった。主に導かれて私は老人ホームの奴隷的労働を脱し、言葉に仕える新しき人になった。復活祭はこの歴史を記念する大事な行事なのである。先日、教父に「兼子さんはお導きのある人だから」と言われて嬉しかった。主の召命に感謝したい。

復活日は同時に立教学院から香蘭女学校に異動される、マーク・シュタール司祭のお別れ会となった。シベリウス作曲の聖歌291番を皆で歌った。「われら再び相見えん」。

送別会

春は別れの季節であると同時に出会いの季節である。去る3月24日、日本聖公会・東京教区・環状グループで、聖アンデレ主教座聖堂に異動する卓志雄先生の送別会が行われた。私はチャペル会衆委員会の渉外担当ではないので、本来、出席は義務ではないのだが、「他の教会の人々と交われるし、懇親会ではお酒が飲めるよ」という名親の言葉に釣られて、去年の夏から参加している。仕事柄、いつもカメラを持参しているので、私は教会付属のジャーナリストのようである。

環状グループ協議会に参加して、ふだん接することのできない街場の教会の人々に出会うことは、多くの気づきを与えてくれる。私の怠慢から礼拝堂チャペル以外の教会に出かけることは少ないけど(その点、聖公会だけでなく、他の教派の教会にも足を運ぶ必要がある)、大学の礼拝堂は恵まれていると知ると同時に、近隣の他の教会の人々ともその恵みを分かち合わなければならないと感じる。将来、伝道師エヴァンジェリストとして活動するために、是非とも必要な修業の課程である(ただ飲み食いしているだけではない)。

阿佐ヶ谷聖ペテロ教会にて卓先生を囲んで

断定の措辞

昨日、ある児童文学作家へのインタビュー記事のゲラが上がってきた。それを素読みした後輩が言った。「兼子さんの思想が表現されていますね」こういう「コーナー」は普通の新聞記事よりも自由な文体で書けるので、自分の思考を率直に表現しやすい。ときどき「~である」など、断定的な措辞も使うことができる。要するに文学的な文章が書けるのだ。取材に協力してくれた先方の作家も原稿の内容に満足してくれたので、自信をもって世に送り出すことができる。その人は私の文章を「介護を経験しているから温かいですね」と言ったが、それは違う。言葉に仕えているから温かいのだ。

中年は寂しい

月曜日はだいたい四ツ谷の角打ち 鈴傳で取締役、DTPオペレーターと飲む。4割が仕事の話、その他6割が他愛もない雑談である。ジャーナリストとしての成長する上で、とても助かっているが、同年代の同僚との交流が乏しいのが寂しい所である。最初は彼等に物珍しい存在として見られたのか、飲み会に誘われたり、小旅行にも出かけたりしたが、いつしかそれも途絶えた。仲間外れにされたと言えばそれまでだが、私も彼等をジャーナリストとしてではなく、ただのサラリーマンと見なしているので、特に口惜しくもない。私がやるべきことは、いま目の前の仕事に勤しむことと、後に来たるべき仕事のために備えるだけである。四ツ谷は通過点に過ぎない。

しかし、悲しいことは、中年になると友達が居なくなることである。編集と伝道に努める私は絶えず新しい出会いに恵まれているが(世人が嘆く「出会いがない」生活とは無縁である)、それでも「君に友達は居るか?」と訊かれれば、一瞬、返答に困ってしまう。人は歳を取るごとに、一人、また一人と友達を失っていく。友達が居なくなっていく。その現実を認識し始めるのが中年という年頃である。会社の同僚はそれ以上でもそれ以下でもないし、教会の会衆は半分友達・半分同僚である(それだけでも恵みと思わなければならない)。中年は寂しい。だから、友達を大切にしなければならない。人生には一人の友達、一人の恋人が居れば十分である。