昼休み、普段は自分の席で簡単に済ませるか、外食してもすぐに戻ってくるのだが、昨日は居たたまれなくなったので、なか卯で食べたあと、四ツ谷税務署の近くの公園でぶらぶらしていた。公園には私のように会社に居場所のないサラリーマンが点在していた。
方針はすでに決まった。私は編集者として、キリスト教を専門にしたい。キリスト教を心棒にして、文学や政治学が展開されるという認識だ。多分、これが私が権能を最も発揮できる存在様式だと思う。
しかし、出版復帰1年で、成長著しいとはいえ、過酷な社会的境遇に追い込むのは、私にとっても意外だった。3、4年くらい働けると思ったが、1、2年で終わってしまうとは……。新聞という古典的なメディアを基盤にした人間的な繋がりに未練はあるが、現状では物書きとしての成長の速度は確実に鈍化するので(結局、作家や一流紙の記者に太刀打ちできなくなる)、自分で自分を育てる環境を作らなければならない。その点、教会は私にとってそれを実現する場所だし、聖書を飽かずに読めることも幸いだと今は思う。