BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

新聞

昨日、取材を1件終える。通常の取材よりもだいぶ手が込んでいるが、業界新聞の記者ならば、時にこうした手続きを踏む必要があるだろう。

今朝は新聞について少し考えてみたいと思う。

衆知のとおり、新聞は斜陽産業である。発行部数は1997年をピークにして、その後、右肩下がりに減少を続けている。私の所属する業界新聞も例外ではなく、ここでは部数を公表できないが、厳しい状況が続いている。

さながら、殿しんがりをしているような気分である。

しかし、新聞はビジネスモデルがハッキリしている。広告と購読。この二つに尽きる。この点については、ウェブは実にあやふやで、無料と購読の狭間を往ったり来たりしている。広告は近年、過剰な露出と誘導のために、ビジネスモデルが崩れつつある。

読者にとっても記者にとっても、新聞はまだまだ信頼に値するメディアのはずだが、その一方、読まれていない、必要とされていない、というのは作り手として寂しい限りである。

けれども、記者/編集者にとって、新聞は寄らば大樹の陰、背後に用紙と輪転機を控えているので、実に仕事がしやすいのである。つまり、取材先の信用を勝ち取りやすいのである。この点、ウェブは移ろいやすく、比較の対象にならない。

なので、新聞記者が取材先で歓待され、ちやほやされたら、それは当人の魅力ではなく、新聞の魅力であると知れ。また、懇親会で人々が新聞記者に次々に挨拶に来る時は、当人のフェロモンに惹き寄せられたのではなく、新聞の紙とインクの匂いを嗅ぎに来たのである。

ふいに『ヨハネ福音書』の一節を思い出した。「世もし汝らを憎まば、汝等より先に我を憎みたることを知れ」。世論が新聞記者を憎むならば、新聞記者よりも先に新聞を憎むことを知れ。——だんだん訳が分からなくなってきた。

それはともかく、しばらく新聞記者であることの幸福さいわいを噛みしめたいのである。