ジャーナリスト

立教学院諸聖徒礼拝堂の広報誌「レンガと蔦」の編集作業が佳境に入っている。同誌に私は編集者の一人として、組版(DTP)を担当しているのだが、勤め先の新聞社の業務とは違い、新鮮な刺激を得ている。

私のジャーナリストの定義は簡潔である。「新聞・雑誌を編集する人」これである。未開の土地を探訪することでも、紛争地を取材することでもない。ましてや、活動家や探偵まがいの行為をすることでもない。編集に徹する。これがジャーナリストだ。

本業は介護業界の新聞記者をしているので、やはり、ジャーナリストと言えるだろうが、私が自らの職業を自信を持って言えるようになったのは、やはり、チャペルジャーナルの仕事の経験が大きいと思う。もちろん、教会から給料や業務委託費が支払われる訳ではないが(それに相応しい働きをしていない)、この無償労働ボランティアが私の職業意識を強めたのは間違いない。

私がこの先、ジャーナリストとしてやっていこうと思い定めたのは、本業の新聞で己の仕事を人々が認めてくれたのと、副業の教会の雑誌で、仕事を進んで引き受け、会衆の中に自らの位置を得たからである。ボランティアから得ること、学ぶことは多い。もしかすると、職業と金銭のあいだに本質的な連関はないのかもしれない。

会社と教会の働きが日々、私を成長させている。最初は無償でもいいから、まずはやってみること。いつの間にかそれがその人の仕事、職業になっているかもしれない。