晩年の荷風

0時に寝て、1時半に目を覚ます。そのまま3時まで布団の中でウトウトするが、仮眠のごとく1時に起きて、作業をすれば良かったと後悔している。体力的にしんどくないと言えば嘘になるが、こま切れに睡眠を取って、その間に仕事と勉強をするのが私の生き方になるので、文句は言わない。ただ、サラリーマンの8時間労働は厳しい。今の私は残業なんて、とてもできない(校了間際は1時間半くらい居残るが)。

新聞記者ジャーナリストの仕事と生活は、1年、3年、5年、さらには10年毎に見直しをするべきだと思う。なぜ、いつもこのルビの振り方にこだわるのかと言えば、ジャーナリストの本質は権力に反抗することでも、探偵まがいの仕事をすることでもなく、新聞を編集する、紙面を作ることに、その仕事の本質があると思うからである。ライターは自分中心に書くが、ジャーナリストは新聞中心に書く。ゆえに世の自称ジャーナリストたちのほとんどはライターだと思うが、それはおかしなことではない。ジャーナリストは新聞の編集権を握る人々のことである。権力を批判するためには権力が要る。権力を行使する生活は不自然な生活である。だから、政治家の生活は普通の市井の市民のそれとはかけ離れているのだ(それが直ちに悪いという訳ではないが、必要悪には違いない)。ジャーナリストの仕事と生活は定期的に見直す必要があると言ったのはこのためである。

新聞記者ジャーナリストを引退した後は、文学者ドキュメンタリストの生活を考える。この訳語の当て方は一般的ではないが、ライターが「文士」「作家」以外に「記者」も指すので、あえて学者の意味を含むこの用語を使った。昨日ブログに書いたように文学者ドキュメンタリストとは畢竟小説家ノベリストのことである。これは直ちにできるし、なれるが、問題は金である。これに尽きる。それに加えて、私の場合はジャーナリストの月日が小説の肥やしになると思うから、小説を書くことは自らに禁じている所がある(しかし、事実を追い駆けていると、小説を読むことができないので、これには閉口している)。私にとって、文学者の生活の典型は永井荷風に見出すことができる。晩年は本八幡(私の住む小岩の隣だ)に居を構え、銀座、浅草、吉原などに、小説の取材も兼ねて遊んでいた。荷風の晩年の読書は、ただ自分の作品を読み返すことに充てられたという。そうして、頁を繰り、行を追うことで、自分の人生を追体験していたと、吉行淳之介が伝えている。人間、歳を取ると、世間のこと、社会のことに構わなくなり、ひとえに自分のことに関心が集中してくる。老人ホームで働いていた私が証言するので、これは信用してほしい。それに人は病を得ると、特に鬱病などにかかると、老化と同じ傾向を見せる。私にもすでにその徴候が見られる。卒寿を過ぎて、人は全世代型社会保障制度について、とやかく言うだろうか。

文学者ドキュメンタリストを引退した後、あるいはそれに挫折した後は、私は伝道者エヴァンジェリストになろうと思う。近年、この言葉は濫用されて、コンピュータ言語の普及者を指すようになったが、まったくの誤用である。エヴァンジェリストは福音記者あるいはその伝道者を指す、本質的にキリスト教の概念である。キリスト(メシア)の到来を人々に知らせるので、コンピュータ言語とは本質的に何も関係かかわりはない。神なき時代の誤用である。

伝道者は私の所属する聖公会では、神学校で研修を受けるとなれる。私は学校は好きだが、授業が嫌いなので、課程を無事に修了できるか心配だが、腹を括ってやるしかない。伝道者になっても金銭的な見返りはほとんどない。また、教職者(司祭)ではなく、会衆(信徒)に属するので、特に偉くなる訳でもない。キリストの救いを求める人々を見出し、扶けることが仕事である。ここまで来ると、文筆、出版とは何の関りもなくなってくる。確かに宣教のスタイルによって、執筆は大いに役立つと思うが、有名になりたい、金を稼ぎたい、という我執からだんだん離れていく。また、それに合わせて、社会に対して距離を取るようになる。ここまで来るとお分かりだろう。私は世捨人の道を歩んでいる。それを非難することはたやすいが、私はこれでいいと思う。晩年の荷風はたぶん、このような境地だったのではないだろうか。