BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

文学趣味

この頃、小説が読めない。仕事ではウェブサイトの他に、書籍、雑誌などの出版物を読むことが多く、その中に小説も含まれているのだが、それが読めないのである。最後の読んだのは、サミュエル・ベケットの『マウロンは死ぬ』だったろうか。すでに記憶も遠い。

読者はお分かりだと思うが、私は文学青年、否、文学中年で、作品を読むだけではなくて、自分でも書きたいと思っている。文学とは何か? 畢竟それは小説である。文学の王様ないし王道は小説である。その理由は、小説が売れて、広く読まれることに起因していると思われる。よく、と言っても、昔の話であるが、小説(小説家)志望の人が俳句(俳人)に転じた時、「もともとは文学志望なんです」と言うことがある。これも理由があることで、俳句は大学(特に帝大)で教えられていないからである。俳句と短歌は「第二文学」と呼ばれる所以である。そのように蔑みたくなる気持も分からなくないが(しかし、私は俳句・短歌など短詩型文学が好きである)。

話は元に戻るが、私は介護をする前は小説はよく読んでいたのだが、そのような肉体労働に従事してからは、はたと辞めてしまった。その代わり、伝記などのノンフィクションはよく読んでいる。事実の重みに圧倒されて、私は虚構に遊ぶのを止めてしまったのだろうか? あるいはすでに老成してしまって、物語を楽しむ心の余裕を失くしてしまったのだろうか? たぶん、両方だと思う。

しかし、私の職業は記者であるが、それでも小説を書きたい気持は失っていない。虚構よりも事実の方が大事だと思うし、自身の資質もその方にあると思うが、小説はやはり、文学の代名詞だと思うのである。小説は文学のアルファでありオメガであるのだ。

私は今、報道、新聞に従事していて、これはこれで社会にとって必要だし、意義のある仕事だと思っているが、それでも文学の趣味、その仕事の価値を忘れてはいけないと思う。文学は荒廃した人間を建て直し、物事に対して意味を与える。永遠の真理を開闢する業であるからだ。

ゆえに、私は年甲斐もなく、いつまでも文学の趣味を持ち続けたいと思う。