BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

しみじみ随筆

会社の新聞の次号の1面を担当することになった。当然、文章は長くなるし、リード文、図表(グラフ)も必要になる。構成がモノを言う。要するに紙面の顔なのだ。さすがに緊張する。上司に訊いた。

「介護現場から、ぱっと出の私が書いていいんですか?」

「だって、君は編集の経験があるでしょう?」

「そうですけど。むしろ、これが本来の仕事だと思っています」

「朝日とか、読売のように、うちはゆっくりOJTは出来なくてね。書ける人が書く」

そりゃあ、任せてくれるのは嬉しいけど、新聞記事はブログとは違って、作者の主観的なお気持を書くのではなく、客観的な事実(その定義は難しいけど、ここでは措いておく)を書かなければならない。違う技術が要求される。キーボードを敲きながら苦吟していると(詩じゃないんだからwww)、随筆ならば楽に書けるのに……一瞬、記者を辞めて、作家に転向しようかしらと思った。「クリスマスのミサが終わり、外に出ると、線路には雪が積もっていた」。こういう文章を、作家/文学者の小谷野敦は『軟弱者の言い分』で「しみじみ随筆」と定義した。確かに随筆は作者の感性と人格に拠るところが大きいが、場数をこなせば何となく書けるのである。基本的に技術と経験の問題である。もちろん、一流の作品はそれに+αが必要だが。

ということで、会社ではひたすら客観的な無味乾燥な記事を書いて、自宅では思い切り主観的なしみじみとした随筆、短歌、小説を書く次第である。なんだ、今までと大して変わらないじゃないか!