或る焦燥

教会のキャンプで、短歌の講師を務めるのだが、そろそろお尻に火が着いて困っている。本格的にプログラムを考えないといけない。

『聖書』の読書会で、司会をやっていて思うのだが、参加者が楽しんで、気持よくなって帰ってくれるのが目的だ。もちろん、勉強の要素はあるけど、ゼミナールではないから、基本はエンタメである。

短歌の方は、『旧約聖書』の『雅歌』に学びながら、俵万智などの現代の歌人を紹介すればいいと思う。そのあとの創作は短冊に書きつけて貰い、纏める。めいめいに配るためには、コピー機が必要だ。

と、まあ、想像力を働かせる必要があるし、実際に手を動かす必要があるけど、会社の仕事と並行して進めていきたい。やるしかない。

この頃、自分の思考と活動が、キリスト教を軸に回っていて、まったく世俗の人々から見れば驚嘆するかもしれないけど、それはそれで構わないと思う。私自身は文学者で、学問と芸術を突き詰めることは大事だけれど、同時に伝道者であることを忘れてはならない。日常的にキリスト教を考え、人々に話すことができる。これは才能である。キリスト教という宗教の根っこがなければ、学問と芸術は花開かないというのが私の立場である。その点を教会の短歌の教室で伝えられたらいいと思う。