孤独を怖れない

会社で新聞記事を書いたあと、家に帰ってブログを書く。あるいは家でブログを書いたあと、会社で新聞記事を書く。……ロバート秋山の歌「SAY KOU SHOW」みたいな永劫回帰に入るから、深掘りは避けるが、このサイクルがとても気持いい。社業と個人事業が比例して良くなっている気がする。会社で書くのは当たり前。それに加えて、家でも書く奴が本当に強いんだ。仕事中にふと、またフリーランスに戻ることを考えるが、会社の人脈による恩恵を考えると、その選択肢は却下している。今は会社の仕事と個人の仕事が車の両輪のように機能している。

やはり、この快いサイクルの中に、短歌結社が入る余地はないように思う。会社の仕事と教会の活動で忙しい。結社が嫌になったのではなくて、単純に忙しすぎるのだ。それと、多忙につき、酒場に通うことも止めた。いや、そりゃあ酒飲みだし、たまには行くけど、誰かと一緒じゃないと行かないかな。今も、おたる醸造の赤を飲みながら、この原稿を書いている。これで十分。気持のいい時間を過ごすことができる。ちなみに、酒を飲みながら仕事をするなんて、不真面目ではないかと思われるかもしれないが、私は原稿が書ければいいので、水でも、コーヒーでも、ウイスキーでも、何でもる。ただし、非合法の野菜には手を出さない。処方薬の抗精神病薬と睡眠薬で十分だ。

短歌結社を2度離れてみて、ようやく分かることがある。

会社で働くことは別にして、私は今後、表現に係ることは、私個人でやっていくということだ。文学(文芸)は組織でやらない。個人でやる。これは私が自身と結んだ契約である。創作を通じて社交を求めない。社交のために創作をやるのは畜群のやることである。創作は創作。社交は社交。けじめをつける。この点に関しては、私は芸術至上主義者である。私の場合、社交は教会で満たされているから、そこは安んじて、創作に身を委ねればいい。芸術は己が相応しい環境を求める。もう、私は孤独を怖れなくてもいいのだ。