文士と芸術家

ブログにはなるべく毎日写真を添えようとしているが、会社と家の往復だけだと、特に撮るべきネタがない。会社の近くには四ツ谷荒木町があり、その横丁を舞台に撮影してもいいけれど、この頃は飲みに行く、時間と体力がない。もちろん、資金も大事だ。そうすると、行動半径がおのずと限られてくる訳で、結局、書斎でワインを飲みながら、読み書きしているのが一番楽しいということになる。「書斎に居続けることができないことが、私達の不幸だ」とパスカルは言ったが、今は特に不幸と感じていない。むしろ、この位のものか、と思って毎日暮らしている。

会社と自宅の往復だと、そりゃあ、撮るべきものは見つからないと思うかもしれないが、それは堕落した心であり、本当は毎日の往き還りの中に楽しみを見つけるべきなのだ。この頃は短歌を書いていないが、文学ではそれができている。「句は賜り物」というが、それはけっして天から降ってくるのではなくて、芸術家の毎日の主体的な訓練の賜物である。私はまだ写真ではこれができないのだ。

端的に言おう。今の私に足りないのは、芸術家アーティストとしての強烈な自意識である。ジェイムズ・ジョイスの娘 ルチア・ジョイスは分裂病の苦しみの渦中に医者に言った。「先生、私は芸術家です」苦境に立たされても、この矜持を保ち続けることが大事なんだ。私は、ライターからアーティストへ変貌しなければならない。おのが業を通じて、人々に真理と解放をもたらす。「芸術家はルシファーを気取っているが、本当はキリストなのである1」。


  1. リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』。