中年は寂しい

月曜日はだいたい四ツ谷の角打ち 鈴傳で取締役、DTPオペレーターと飲む。4割が仕事の話、その他6割が他愛もない雑談である。ジャーナリストとしての成長する上で、とても助かっているが、同年代の同僚との交流が乏しいのが寂しい所である。最初は彼等に物珍しい存在として見られたのか、飲み会に誘われたり、小旅行にも出かけたりしたが、いつしかそれも途絶えた。仲間外れにされたと言えばそれまでだが、私も彼等をジャーナリストとしてではなく、ただのサラリーマンと見なしているので、特に口惜しくもない。私がやるべきことは、いま目の前の仕事に勤しむことと、後に来たるべき仕事のために備えるだけである。四ツ谷は通過点に過ぎない。

しかし、悲しいことは、中年になると友達が居なくなることである。編集と伝道に努める私は絶えず新しい出会いに恵まれているが(世人が嘆く「出会いがない」生活とは無縁である)、それでも「君に友達は居るか?」と訊かれれば、一瞬、返答に困ってしまう。人は歳を取るごとに、一人、また一人と友達を失っていく。友達が居なくなっていく。その現実を認識し始めるのが中年という年頃である。会社の同僚はそれ以上でもそれ以下でもないし、教会の会衆は半分友達・半分同僚である(それだけでも恵みと思わなければならない)。中年は寂しい。だから、友達を大切にしなければならない。人生には一人の友達、一人の恋人が居れば十分である。