昨夜、会社のDTPオペレーターの方と帰りが一緒になったので、四ツ谷の角打で飲んだ。
お互いに共通の話題は、仕事と酒くらいしかないのだが、前者に関して言えば、先日、私が新聞の8面を一人で書いたことで、「オヤッ、こいつ案外書けるぞ。仕事できるんだ」と思われたらしい。
それはそれで嬉しいのだが、8面は政治・法制に関わる硬い記事ではなくて、どちらかというと、エンタメ寄りの柔らかい記事。エッセイ風の文体が許される紙面である。実際、記者だけでなく、作家の方も書いている。
そういう文章を書けるのもある意味才能なのだが、新聞記者としてはどうなのかな?というのが率直な感想である。ジャーナリストは新聞とその紙面に魂を売った人間のことである。しかし、ライターは違う。あくまで自分本位で書く人のことである。先日、英国人の牧師の奥様に職業を尋ねられて、「ライターです」と言ったら、「作家なのね」と言われた。「違います。記者ですよ」とその後訂正したが、ライターを「作家」と翻訳する語学はさすがである。
私は記者である。それは間違いない。しかし、その言葉の意味として、どこまでも作家(文士、小説家)寄りなのである。私はそこそこジャーナリストの才能があると思うが、本質はどこまでもライターなのである。日中、会社で働いている時はジャーナリストをやっているが、深夜、酒をちびちびやりながら、書いている時はライターをやっている。その二重性に苦しむのである。