堅信式

昨日は芝の聖アンデレ教会で堅信式があった。私は一信徒として、また「チャペルジャーナル」の編集記者として、記念撮影に行ったのだが、その後、月島のもんじゃ焼き屋 片岡でしたたかに飲んだ。普段、飲みなれない芋焼酎を飲んだためか、今日はいささか頭痛がする。

ジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を考える。煉瓦職人フィネガンが梯子から落ちて死に、ウイスキーを掛けられて復活するこの物語は、フィネガンの通夜ウェイク目覚めウェイクの二重の意味を掛けている。

この作品の終盤でfinagainという造語が出てくるのだが、「終わり始まり」という意味である。私はジョイスのような偉大な小説家ライターではないが、物書きの端くれとして、原稿を書く時はいつでも「終わり始まり」の気持がある。

キリストは死に、その3日後に復活した。フィネガンとの対照は明らかである。彼は精霊の息吹きで復活したのだろう。私もキリスト者として、いつまでも終わり始まりフィンアゲインの意識を持ち続けたい。