復活祭

3月30日には立教学院諸聖徒礼拝堂で聖土曜日礼拝を、3月31日には復活日礼拝に参列した。

2023年の復活祭イースターに洗礼を受けた私は、キリスト者としてようやく1年経ったんだな、とようやく実感が湧いてきた。その歩みは遅々としているし、あまり褒められたものではないが、私の人生は確実に新しい段階に入ったという自覚がある。

復活祭、特にその前日の復活徹夜祭に参加すると、洗礼を受けた頃、また、それに向かってひたむきに頑張っていた自分を思い出す。2023年の3月は、私はまだ老人ホームで介護をしていて、教会の聖餐ミサに与かるために、すべての希望休と有休を日曜日につぎ込んでいた。12月24日に有休を入れたら、25日も自動的に休みになったが、あれは上司の粋な計らいだったのだろうか。たぶん、私はすでにキリスト者として認識されていたと思う。

洗礼と堅信は私の死からの復活を象徴する秘儀であると同時に、それに至るまでの道程は出エジプトエクソダスそのものだった。主に導かれて私は老人ホームの奴隷的労働を脱し、言葉に仕える新しき人になった。復活祭はこの歴史を記念する大事な行事なのである。先日、教父に「兼子さんはお導きのある人だから」と言われて嬉しかった。主の召命に感謝したい。

復活日は同時に立教学院から香蘭女学校に異動される、マーク・シュタール司祭のお別れ会となった。シベリウス作曲の聖歌291番を皆で歌った。「われら再び相見えん」。