昨日は塔 東京歌会の新年初めての歌会があった。場所は新橋。私は立教学院諸聖徒礼拝堂の聖餐式の後に参加した。
私は約5年ぶりに歌会に参加した。塔の東京歌会は、以前は中央区の公民館で開催していたのだが、この頃は新橋に鞍替えしているようだ。
当時、私は派遣社員として築地の朝日新聞に勤めていたので、新橋は懐かしい場所である。当時はまだ飲み歩くことはしなかったけど、新橋の雑多な飲食街を歩いていると気持が高ぶる。それが一人ではなく、人々と一緒なのだから楽しくない筈がない。歌会には次の歌を提出した。
新春の流行病の癒ゆる頃パイプ煙草をひそと吸いにき
結句の助動詞「にき」が「(石川)啄木みたい」と評された。「たり」にした方がいいのではないか、という意見があったが、このままの方が味が出ているという意見があり、私もその意見がに同意する。
「パイプ煙草」の取り合わせがよろしい、と評価を受けた。紙巻煙草でもなく、電子タバコでもないので、風情があると言われた。「昔は皆、けっこうパイプ吸っていたよね。私の夫も嗜んでいたわよ」という声もあった。
「新春」の措辞が初々しくてよい、という声を頂いた。これは新春の初めての歌会なのでサービスのつもりで置いた。実際に『塔』に詠草を提出する時は、別の言葉に置き換えるつもりである。
総じて良い評価を受けた。幸先が佳いスタートを切った。流行病のために新年会はなく、皆、まっすぐ家に帰った。塔は社団法人なので、こういう所は厳しい。あと、久しぶりに参加して、けっこう市民的だな、と感じた。歌人は芸術家である。もっと強気で行っていい。
帰路、短歌を一首推敲する。歌会に参加したあと創作する。うんうん、いい循環だ。黄昏の新橋を歩きながら、私は一人呟いた。
東京よ、私は帰ってきた。