舞いあがれ!貴司

転職活動が正念場である。来週にかけて面接の予定をかなりガチガチに組んだから、忙しくなりそうである。絶対に記者/編集者の仕事をものにして見せる。4年間の苦労と忍耐がここで昇華されるのだ。

今日は池袋のチャペルで礼拝のあと、新橋にて歌会に参加する。短歌の弾数が足りなくなってきたので、量産しなければならない。量×質=文名。これが歌壇で活躍するためのポイントである。

そういえば、職場のテレビで朝ドラの『舞いあがれ!』を見ていたら(私の家にはテレビはないのだ)、歌人の貴司が苦吟をしている様子を見て、微笑ましく思った。しかし、編集者が売れる歌集を目指して、貴司に相聞歌を提案したことに吹き出してしまった。なぜならば、恋の歌を互いに相詠み聞かす相手がいて、初めて相聞歌は成立するからだ。つまり、恋人もまた歌人でなければならない。相聞歌は自我エゴのみで作られはしない。その前提に表現者からなる社会が存在する。マ、うんちくはともかく、今後の展開に期待ですな。私はどちらかというと、相聞歌よりも、自我エゴ剥き出しの恋歌の方が好きである。

「炭酸の泡がしゅわしゅわしている」と処女おとめのごとく君は告げたり

『舞いあがれ!』貴司 ©NHK