聖書と辞書

先日、十蔵寺さんと離床介助をしていた時のことだ。「兼子さんは最近、何の本を読んでいますか?」満面の笑みで訊かれたものだから、こちらはしどろもどろになってしまったが、それ以上に当惑したのは、私が本を大して読んでいない、ということである。「この頃は聖書と短歌雑誌しか読んでいません」と、私は白状した。

書架にはもう本を納めきれないし、書斎の片隅の本の山はうず高く積もる一方である。今後、ライターとして身を立てたいと思えば、酒を控えて、読書と執筆に当てたいが、これも少しも改まる気配がない。否、生活習慣は転職すれば、ある程度改善することができるのではないだろうか。

しかし、もう少し本を読みたいなと思う一方で、私は究極的には、本は聖書と辞書があれば十分である。もし、離島に流刑になって、3冊だけ本を持ち込むことを認められたら、私は迷うことなく、聖書と英和辞典と独和辞典を持ち込むだろう。もちろん、聖書は文語訳にかぎる。もう少し欲を出せば、トーマス・マン、辻邦生、開高健の小説を持ち込みたいが、先の3冊に比べれば、余計な物なのかもしれない。

追伸

さっき、池袋のビックカメラで買い物をした時、レジ・カウンターに聖書を置き忘れてしまった。階段を降りる私を店員さんが追いかけて言った。「お客様、辞書をお忘れですよ!」普通の人から見れば、両者を見分けることは困難らしい。