BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

科学から空想へ

今、私の居間兼寝室には、二人の酔漢が寝息をたてて眠っている。こう書くと、さまざまな方面で、心配されたり、呆れられたりするだろうが、私の実生活というのは案外単純なものである。会社に勤めたり、酒場で過ごしたり、下宿で友達と酒杯を片手に芸術論を戦わせたり、……その合間を縫って、私は文章を書く。その繰り返しである。

毎日ブログを書いていて、最初にぶつかる問題は、書くネタが尽きるということである。そのために私達は読書をしたり、取材に出かけたりすることで、実生活に刺激を与え、経験を豊かにすることで、この危機を乗り越えようと努力する。

しかし、この方法にも限界がある。文章テキストの内容を事実だけに拘泥していると、それはやがて尽きるのである。読書と取材によって、資料を増やしたとしても、それは有限に過ぎないのである。

先日、昔の会社の同僚と電話で話したが、君のブログはつまらない、と単刀直入に言われた。彼は言った。「もっと想像力を働かせて、ハッタリをかまさないと駄目だぜ」単語と単語、文節と文節を繋ぎ合わせるためには連想飛躍が必要である。そして、作品の主題は畢竟、想像力に基づくのである。私はまだ、幼児的素朴現実主義リアリズムの段階にとどまっていた。それだから文章が詰まらなくなる。ただの現実の引き写しに過ぎないからである。

事実は有限であるが、空想は無限である。と、言うのは簡単だが、実際には感覚と経験に多く依拠しているに相違ない。しかし、想像力の源泉は究めがたい所にある。それは神によって先験的アプリオリに与えられていると主張する人もいるが、私にはまだ分からない。けれども、精神の深遠については、書き続けていれば自ずと分かるのではないか。小説を書こう。