Journalist contra Documentalist

川端康成は短編集『愛する人達』の中の一篇で、「吹けば飛ぶような雑誌記者」という旨の文章を書いた。実は一言一句、正確に覚えていないので、この引用は正しくないかもしれないが、とにかく、雑誌記者をなみするような描写をしている。その主体〈私〉は川端康成の分身——文士である。

この傾向は文豪が生きた戦前・戦後を越えて現在までも続いていて、文士(文人、文学者、作家)は記者は詩が分からない、ただの情報屋だと痛罵したり、記者の方は記者の方で、文士は世間知らずで、お高くもったいぶったものを書く、と内心軽蔑している。結局、職業が違うのだろう。それぞれの英訳として、文士(Documentalist)、記者(Journalist)と当てはめることができるけど、当然、この分類を拒否する人達がいる。たとえば、アーネスト・ヘミングウェイは小説家として有名だが、同時に膨大な戦争に関する記事を書いたし、開高健も小説が本来の仕事と見なしていたけれども、『ベトナム戦記』『フィッシュ・オン』など、文学史上、燦然と輝くルポルタージュを書いている1。日本で文士(Documentalist/Journalist)として活躍したのは、中江兆民、徳富蘇峰、陸羯南、長谷川如是閑、この辺りの人々と思い浮かべる。現代では、立花隆、村松友視か——。

とまれ、今後、私は文士(Documentalist)の仕事をしていると、自信をもって言うことにする。ジャーナリストが情報屋だとすれば、ドキュメンタリストは資料屋に違いないが、新しきを追求するか、旧きに沈潜するかの違いがある。私は明らかに後者の資質がある。古本道楽が仕事になった。その意味で私は文士(Bookman)である。「新しいものを追い駆けるのは疲れる2」のだ。

が、実際に物書きをしていると、そんな悠長なことは言っていられなくて、依頼主クライアントに今ホットな話題について書いてみないか、取材してみなさい、と勧められる。というか、強いられる。自身の器を拡げるために頑張ります、と言えば美しいが、本当はそんな悠長なものではなく、死活問題である。——マ、あまり気張らずに、私は一介のドキュメンタリストとして、魅力的な人間の肖像を書きたいのだ。


  1. 彼は明確に、ルポルタージュの取材中、自分は小説家ではなく記者になる、と書いている。ただし、彼は自身のことを、ジャーナリストではなくて、ドキュメンタリストと言った(『ドキュメンタリスト・マグナカルタ』が有名)。彼は「新もの食いはしない」と、常日頃語っていた。

  2. これも開高健の言である。