BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

鼓動

トントン。トントン。

嗜眠から醒めつつあるとき、誰かがドアを敲く音がする。

トントン。トントン。「……いるか?」

どうやら話しかけられているらしい。しかし、意識が回復しないので、うまく応えることができない。

トントン。トントン。「佐藤、いるか? いるなら返事をしろ」

呼ばれているのは私ではない、か。私は寝起きのやや混濁した頭で考えた。呼ばれているのは向かいの部屋の佐藤さんだ。

「また寝落ちしてしまったか」会社から帰ると、炬燵に当たりながら、温かいコーヒーを飲んでいた私は、いつのまにか眠り込んでいた。最近、そんなことがずっと続いている。当時、ミニコミ誌の記者ライターを務めていた私は、不規則な勤務で生活リズムが崩れて、不眠症を発症していた。医者から睡眠薬を処方されていたが、効かないこともあり、慢性的な疲労と倦怠感に襲われていた。もしかすると、この疲労の原因は睡眠不足だけではないのかもしれない。そんなことを思い始めていた。炬燵から這い出ると、私は身体を起こし、髪を整えた。靴を履き、玄関のドアを開けた。「どうしました?」

「佐藤の返事がないんだよ」私達は同じ会社の同僚であり、同じ社宅に住んでいた。彼等は新聞配達員、私は記者という職業の相違はあるけれど。「出勤の時間になっても営業所に来ないし、連絡もつかない。お前達が探してこい、と社長に命じられたんだ。……おうい、佐藤、居るなら返事しろ」

「携帯電話に掛けても繋がりませんか?」

「ああ、音信不通だ。駐輪場には奴のカブ1が置いてあるから、多分、どこにも出かけていない。奴のいきつけの酒場も尋ねたけど、どこにも見つからない。あいつ、酒を飲むことが唯一の楽しみだから。でも、最近は仕事が忙しすぎて飲みに行けてないけどな」

「やっぱり、この部屋に居るんですか?」

「ああ。最近の奴は自宅と会社の往復しかしていない。仕事が終わったら寝に帰る。ただそれだけだ。それに部屋の明かりが点いている」

私達の社宅の個々の部屋のドアには窓ガラスが取り付けられていた。今思うと不思議な設計だが、もともと社宅というよりも寮として建てられたので、住人の動きが多少分かるように作られているのだろう。

「あいつ、いつも電気をつけっぱなしにして寝ているんだけど、さすがに外出する時は消していたんだよ」

「佐藤、開けろ! 中に居るんだろ!」山本さんは続けた。「寝坊にしてはタチが悪い。嫌な予感がしてきたぜ」

「管理人に部屋の鍵を借りてきましょうか?」

「そんな暇はない。一刻を争う事態かもしれない。このままドアをぶち破るぞ。力を貸してくれ」

私と山本さんは「せいの!」の掛け声に合わせて、部屋のドアに体当たりした。ベニヤの粗末な作りのドアは簡単に吹き飛んだ。

予感はしていたものの、そこに拡がっている光景に私達は息を飲んだ。古新聞とゴミ袋が部屋の隅々に所狭しと積み上げられていて、その中心のすえた万年床に、佐藤さんが両手で胸を抑えながら横たわっていた。半開きの口からは涎が垂れていた。

「触ってはいけない!」抱き起こそうとする私を山本さんが制止した。「今年で三人目か。あいつ、もともと心臓が悪かったんだ」


  1. ホンダのバイク スーパーカブのこと。