経済学を勉強している。今、読んでいるのは、N・グレゴリー・マンキュー『マンキュー入門経済学』だ。ケインズの『一般理論』の予習のために読み始めたが、たぶん、入門書だけではケインズに太刀打ちできないから、ミクロ経済学とマクロ経済学の教科書が必要になるだろう。日曜日に例によって池袋に行くので、ジュンク堂で買い求めよう。
日常生活の様々な出来事や、人生のターニングポイントなど、経済学で説明できることは余りに多い。
たとえば、今年度、私が介護業界から出版/新聞業界に転職したのは、単に労働が辛いという主観的、肉体的理由では説明できない。そこには経済的な理由がある。低い生産性とそれに伴う低賃金、そしてイノベーションの不在。これだけでも説明になるが、不十分である。経済は、労働市場は閉じた体系ではない。介護等福祉産業を他の産業と並べて比較しなければならない。
余談だが、私は去年、アルバイトで介護労働をしていた時、かつて私にいろいろ目を掛けてくれた編集者が家を買ったことを知った。私は利用者をベッドに移乗したあと、歯ぎしりして「絶対に出版に戻ってやる」と、同僚に堅く誓ったものだ。
さて、私が介護労働をしながら貧困に喘いでいる時、比較対照したのは出版/WEBなどの情報産業である。知的財産権(この勉強もしなければならない)を武器に、コンテンツがコンテンツを、コンテンツが価値を生み出す商売である。介護の場合、腰に負担の掛からない移乗方法を覚えたり、オムツ交換が早くなったとしても、上昇する生産性はたかが知れているが、出版の場合、うれしい、たのしい、大好きなアイディアが生れた場合、向上する生産性は、そのメディアが流通する市場規模に相当する。否、それを超える可能性を秘めている。生産性とは一定の労働を投下した時の価値の生産高である。昨今、出版業は斜陽産業と言われているが、私は今も無限の可能性を秘めていると思った。実際に再びこの業界に身を置いてみると、私は編集者ではなく、記者になっていた。