今日は施設、老人ホームの勤務は休み。その代わり、訪問介護に2件行ってきた。いずれも買物代行である。
あまり仕事の愚痴は言いたくないし、もともとその柄ではないけれど、介護福祉士の有資格者を買物代行などの生活援助の業務に当てるのはいかがなものかと思う。もっとハッキリ言ってしまうと、三十代の働き盛りの男性介護福祉士を、掃除、買物など、介護の腕の覚えがない、主婦でもできるような家事労働に従事させるのは、その事業所の見識が疑われるのではないだろうか。7月に資格取得の祝金を支給されるし、社員の方々に対する義理もあるので、もう少し頑張りたいが、正直、今年いっぱいまで勤め上げるのは難しいと思う。
横山源之助『日本の下層社会』。これを読むと、昔から運送業は伝統的に、細民、零民、貧民に担われていたことが分かる。私は昔(この記憶も遠くなりけり)、文芸関係の出版社に編集者として努めていた頃があったが、そこで、庶務/経理を担当していたおばちゃんが、職業に貴賤はないと言いながら、毎日、配達/集荷に来る宅急便の営業の方に辛く当たっていた。「あなたもいずれ分かると思うけど、こういう職業の人には強く言わないと駄目なのよ」結局、そのおばちゃんは私と喧嘩して、辞めてしまったので、その言が正しかったのかは杳として分からない。しかし、ひとつだけ確実に言えることは、勝ったのは私だ。
私は大学生の頃は政治学を勉強していて、そこではいわゆる市民派と呼ばれる学派に身を置いていた。市民派とは、革命ないし改革の主体は政府ではなく市民であり、彼らが構成する市民社会こそがその場所であるということだ。私は市民派であると言えるし、そうでないとも言える。いずれにせよ、私は今でもこの政治学を勉強しているし、この学問に執着している理由は、その点の矛盾にありそうだ。私は大学出たてのホヤホヤの頃は生粋の市民派であった。否、それは正しくない。東日本大震災の年に卒業した私は東京の人間の傲慢さに気づいていた。市民論、市民社会論は東京都民を模範にして作られているから、階級意識に敏感な私は、その認識の存在拘束性に気づかないはずがない。
結論を言うと、私は市民社会から下層社会に没落した。先に訪問介護とUberEatsの例を上げたように、現代の世間は、兎角なんでもスマートに見せているけれども、その実態は、明治時代の細民、零民、貧民の暮らしの本質と変わらないのである。確かに高度経済成長を経て、生産力は上がった。モノは豊かになった。しかし、日本の下層社会は今なお存在するのである。私は精神疾患と飲酒癖があるので、人生の歯車が狂えば、いつでもドヤの住人になってもおかしくないのである。最後に明治時代の工場労働の報告を引いて終わる。
世話役もしくは助役は職工より出づるを以て、常に職工の状況を審かにし、職工の代弁者となりて工場長に時々の便宜を訴うべきはずなるに、実際はしからずして、かえりて工場長の意を迎うるに力めて職工の事情伝えざるは多きが如し1。
現代の施設に勤むる介護労働者の実態に一脈通ずる所ありなん。
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横山源之助『日本の下層社会』(岩波書店、岩波文庫、1985年)271頁。↩