職場でクラスターが多発している。
私の勤務している特別養護老人ホームは相部屋の多床型なので、それぞれの利用者はカーテンで仕切られていても、トイレを共有している。そのためにウイルスが蔓延しているのではないか。いや、そもそも認知症の老人を相手にしているので、陽性患者を完全に隔離することができない。利用者はもとより職員もバタバタ罹っている。仕事をしていると、ああ、これは罹るな、と思う瞬間が幾度もある。私が感染するのも時間の問題だろう。私は今、非常勤で勤務しているけど、仮に休職しても、本来働くべきシフト分の賃金はちゃんと請求するよ。
各施設の感染状況はすでに行政に報告しているので、私の個人ブログに書いてもいいだろう。利用者個々人のプライバシーには触れないので、これぐらいの表現の自由を望む。そもそも個人情報保護法に規定されたプライバシーの権利は、日本国憲法 第21条に規定された表現の自由を干犯している。今、両者の自由の価値の貴賤は問わないが、この矛盾を教育機関で教えない福祉業界、介護業界は愚かだと思う。
「エッセンシャル・ワーカー」とはよく言ったもので、社会の底辺の人々に負担と犠牲を押し付けるために、広告代理店が考案した概念なのではないかと私は疑っている。3年前の流行の時にも思ったけど、現場で働く人間としては、一般市民の代わりに、疫病との戦いの矢面に立たされている気がする。市民社会は賤民にその負担を押し付ける。ただそれだけだ。だから、社会が、世間が、「エッセンシャル・ワーカー、ありがとう」「医療従事者、ありがとう」と言っても少しも嬉しくない。代理戦争をしている丈だから。マキャヴェリは傭兵に頼らず、徴兵による常備軍を創設しなければ、国民は生まれないと考えたが、疫病との戦いにおいても、それは正しいと思える。
本部より支援物資を受け取れば積荷に娑婆の香りするなり