私の末病予防

私は酒を飲める質である。グラスを2杯、3杯、傾けたとしても、ほとんど顔は赤くならないし、意識を忘れるくらい痛飲しないかぎり、翌日に持ち越すことも少ない。身長183cm、体重84kgの巨漢であり、相当の筋肉と脂肪が付いているので、その分、アルコールを吸収することができるのだが、やはり、私の両親が、東北・福島の出身ということが要因として大きいのだろう。遺伝的に酒を飲める体質なのかもしれない。これは才能であると同時に罪業である。人一倍、酒が飲めることは、人一倍、偉いことではない。むしろ、人一倍、罪深いのかもしれない——。人は皆、各自の十字架を背負いながら生きている。

一時期、不眠症が嵩じたので、禁酒をして、体調を整えようとしたが、この試みは成功していない。せいぜい、節酒する程度だ。週1日くらいは休肝日を設けることはできるので、多分、アルコール依存症ではないと思いたいが、酒を飲まなかった翌日の体調が殊更良い訳でもない。酒を止めても、私は健やかにはなれないのだ。

多分、私の場合、ほどほどに酒を飲むことが性に合っているのだろう。もちろん、深酒、やけ酒を繰り返せば、胃腸と脳に負担がかかり、下痢、抑鬱、不眠、妄想など、さまざまな病気の症状が現出するが、適度に飲酒していれば、便秘、抑鬱、不眠などのさまざまな不快な症状を緩和することができるだろう。酒は胃腸の動きを活発にし、神経を鎮めて眠気を促し、鬱に塞いだ心を少しだけ躁に持ち上げてくれる1。酒は末病を防いでくれるのだ。

私はもともと医者にかかることも、薬を飲むことも嫌いで(今でもそうかもしれないが)、薬を飲むのを拒否して、酒ですべてを解決しようとしたが、それはさすがに間違いだった。寝酒、すなわち、眠るために酒を飲むことを続けると、確実に身体は蝕まれていく。深く、長く、眠りたければ、睡眠薬、あるいは抗精神病薬を飲めばよいのだ(酒を飲んだあと、睡眠薬を飲むと、涅槃がうっすらと見えるので、私はマイルドに効く、抗精神病薬を服用している)。人生の難問は、酒で解決することはできないし、薬で解決することもできない。せいぜい、その一助になるに過ぎない。——お酒は楽しくほどほどに。


  1. 漢方では、散鬱という。

二重生活

「で、君は——、僕たちをあんなに楽しませてくれた、セント・ジェームズ・アンド・アルバニーの仕事を辞めてしまったということなのかい?」

「いえ、違います、侯爵。あれは並行しています。と言いますか、こちらのこれが並行しています。私はここにいて、あそこにいます1

故郷のドイツを出て、フランス・パリのホテルでエレベーターボーイとして働いているクルルが、休日、レストランで食事をしていると、それまでホテルの客として遇してきた、ヴェノスタ侯爵と邂逅する場面である。侯爵は労働者のクルルが、高級レストランで食事をしていること、その豪奢な装い、そして、その優美な所作に瞠目したのだ。

虚構の小説から、現実の生活に話を移す。

私は今、東京に住んでいるが、同時に千葉の老人ホームに働きに出ている。私の自己同一性アイデンティティが、千葉の会社の介護職の生活に包摂されることはまったくなくて、東京の私の本来の生活と並行していると感じている。正確には、分裂している、と言うべきか。

私的生活プライベートの本来の語源は、「欠如している」ことを意味するが(人に見られ、聞かれ、語られる機会を奪われている。すなわち、孤独である)、私はこの欠如を、読書と執筆で埋め合わせようとしている。私は東京の生活を、自由と幸福を勝ち取るために使いたい。

ヴェノスタ侯爵は、次のようにクルルを評した。「君にはきっとわかる筈だけど、ここで君に出会ったのは、僕には嬉しいと同じくらい怪しい。知識欲を刺激されるね。『並行している』とか『こことあそこ』とかいう君の言い草には、陰謀めいたところがあるよ、——経験のない者にはね。それを認めたまえよ2


  1. トーマス・マン(岸美光/訳)『詐欺師フェリークス・クルルの告白(下)』光文社古典新訳文庫、2011年、97頁。

  2. トーマス・マン(岸美光/訳)『詐欺師フェリークス・クルルの告白(下)』光文社古典新訳文庫、2011年、99頁。

銀座闊歩

先日、銀座の煙草屋 菊水で、パイプを購入した。

Talamonaというイタリアのメーカーのパイプで、初心者の私は店員さんと相談しながら決めた。「パイプを初めて購入されるお客様には、吸い方の方法など、私たちがひと通りご説明しながら、当店で一服していただくのですが。時節柄、それが出来なくなってしまいまして……」と応対してくれた店員さんが残念そうに話した。「頂戴したパンフレットを参考にして、家で練習します。また、よろしくお願いします」私は一礼すると、店舗向かいの中央通りに出た。今日は日曜日。歩行者天国である。人々が闊歩している。緊急事態宣言を解除された、彼/彼女達は自由を謳歌している。それから、私はBar 保志でカクテルを3杯ひっかけたあと、パイプの入った手さげ袋を携えて、小岩の下宿に急いだ。

書斎で読書灯を点けると、パイプに恐る恐る煙草を詰めていく。そして、また、恐る恐るマッチで火を点ける。着火する時に適宜吸い込むことで、ボウルの中の煙草に火を移していく。火種が消えないように何度もマッチを擦るが、すぐに鎮火してしまい、喫煙できない……。そういえば、菊水の店員さんがパイプ煙草に火を点けるのに、BICのライターをお勧めしていた。昔、職場の先輩から頂戴したものを試してみる。点火後、ライターを水平にして、ボウル内の煙草にゆっくり火を移していく。15秒くらい経ったろうか。火種は完全にできたので、パイプをゆっくり吸い込む。そして、吐く。ボウルの中の煙草をタンパーで適宜整える。この繰り返しである。

パイプを吸ってみて、分かったことだが、パイプはシガレットに比べて、副流煙は断然少ない。だから、部屋で吸っても、案外ケムくならないのだ。パイプの煙は、穏やかに、控えめに立ち昇る。シガレットのように巻紙や燃化剤を使わないからだろう。パイプの煙草は一部は燃焼させ、一部は加湿/加熱させて吸うので、その仕組みはアイコスなどの加熱式タバコのヒントになったのではないかと勝手に想像してみる。

一度、パイプ煙草に火を点けると、20~30分くらい吸い続けることができるので、相当満足感を得られる。パイプの中にフィルターを仕込んでいないので、正直、結構きつい。身体に負担がかかる(私の吸い方が下手な為かもしれないが)。煙草の喫味で味覚も麻痺するので、チェーンスモークは無理だ。喫煙すること自体が時間と手間のかかる「儀式」になるので、1日1回吸うのも難しい。2、3日に1回くらいが適当だろうか。ニコチン依存症は遠い。

パイプを吸ったあと、試しにシガレットを吸ってみる。銘柄はLUCKY STRIKE 14mg。パサパサして、埃っぽく感じる(湿度が低いのだろう)。あまり、美味くない。私は専らシガレットを吸っていた頃も、2、3日に3本くらいの頻度であったが、それでも、シガレットの手軽さに敵わないので、惰性で吸っていたのだろう。パイプに比べて、激しく立ち昇る副流煙の量を、重たい、ケムたいと感じるか、それとも、力強く、頼もしい、なかなかオツなものだと感じるか。私はどちらかと言うと後者である(ゆえに太巻きのHOPEは好きである)。たまに吸いたくなる。次は手巻煙草を始めてみようか。

私が煙草の味を覚えたのは32歳の頃である。それまでは嫌煙家だった。以前の私を知る、友人、知人は驚くので、便宜的にストレスのせいにしているが、人間は、実際、尊敬する人物に近づくのである。

中村真一郎開高健に敬意を込めて。

散文家

今朝、花みずき短歌会の野倉さんの電話で目が覚めた。私が長らく(約3年)休会しているので、このまま休会を続けるか、それとも退会するか、真意を問うものだった。

「近頃、短歌を書いていないので、退会します」

すでに決意を固めていたとはいえ、自分の口から淀みなく発せられた言葉に、私は少々気圧された。

「そうですか。あんなに頑張っていらしたのに……。残念です」

互いの苦労と感謝の気持ちを表して、電話を切った。

私は短歌を嫌いになった訳ではない。短歌を通じた歌人同士の交流と理解を今でも大切に思うし、彼らとの吟行会は私の大切な思い出である。しかし、私が近頃、短歌を書いていないという事実が、決定的に私を彼らから遠ざけてしまった。その一因は、私は韻文家(詩人)ではなく、散文家(小説家)という自覚である。今の私は、小説、評論、評伝、ルポルタージュを読み、書くことしか眼中にない。私は短歌と疎遠になってしまったのである。

しかし、文人俳句、文人短歌、と言うように、小説家が「余技」として、俳句、短歌に手を染めることは往々にしてあることだ。古くには、夏目漱石芥川龍之介など(久保田万太郎は小説を書くが、やはり、俳句が本業だろう)、最近では、丸谷才一森村誠一石田衣良だろう。小説を生業にし、世間に小説家として認知されても、短歌を書いてはいけない法はないのだ。

しかし、私が出版業界に復帰するためには、絶対に小説を、評論を、ルポルタージュを書かなければならない。息の長い散文を書くためには、幾度も孤独な夜に耐えなければならない。

しばらく、短歌はお預けのようだ。

バー・ホッパー

昨夜はバーを何軒も梯子して、ベロベロになって帰宅した(こういうのをバー・ホッパーという)。朝、目を覚ますと、意外に深く、長く、眠ったようだ。吐き気などの二日酔いの症状もない。しかし、眠るために酒を飲むと、確実に病気になる。今後、自重しよう。

開高家の孤独

「もっと手紙を送ってくれないか。孤独なんだ」

芥川賞を受賞した直後、開高健谷沢永一にそのように書き送っているが、世間の注目を浴びていても、本人の胸中は期待と不安で押し潰されそうになっていた。「その頃、小説家になって間もなくのことだから、どうやって暮していいものか、教えてくれる人もなくて、途方に暮れていた。知人らしい知人もなく、先輩らしい先輩もいない1」と、後年、彼は短編小説で当時の心境を明かしている。開高の実生活は、佐々木基一武田泰淳など、彼が生き悩んでいる時は助言し、さらに彼の作品の発表の機会を与えてくれる先輩はいたけれど、それでも彼はいつでも言い知れぬ孤独を感じていた。それは誰からも見られず、聞かれず、自身の肉体に閉じ込められる淋しさであった。それは他人と交情しても癒しようがなく、むしろ、ますます孤独の深みに堕ちていく。彼はこの地獄を『夏の闇』、『花終る病』などの小説で描いた2


  1. 開高健「掌のなかの海」『珠玉』文藝春秋、1990年。

  2. 開高の描いた孤独は、ハンナ・アレント無世界性ワールドレスネスの概念に等しい。また、彼の愛読書である、ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』の雰囲気に極めて近い。

エッセンシャルワーカー批判

新型コロナウイルスの流行を契機に、医療、介護など、福祉の現場に従事する人々を「エッセンシャルワーカー」と呼んで、尊敬しよう、応援しよう、という向きがあるらしい。昨今のコロナ禍では、先述の呼称以外に、「ソーシャルディスタンス」とか、「ロックダウン」とか、聴き慣れない外来語(?)が流行し、行政の政策担当者から、テレビのアナウンサー、雑誌のライターに至るまで、本当にその概念を理解しているのか、いや、そもそも真面目に理解する必要があるのか、と訝しみたくなる。例えば、普通、社会的距離ソーシャルディスタンスと訳されるが、むしろ、社交的距離ソーシャルディスタンスの方が適切ではないだろうか。この概念は人々の社交を制限するために作られたのだから。

約2年間、私は老人ホームで介護の仕事をしている。先の二度の緊急事態宣言下でも、営業禁止はおろか、時短営業もなく、所定の労働に従事して、給料と賞与を貰うという、今までと変わらぬ日常を続けていた(マスク、さらにはフェイスシールドの着用を義務付けられたが)。この期間は、よく働いた、あるいは(行政と市民社会に)働かされた、という印象がある。人間の再生産に関与している。その意味で、私は本質的労働者エッセンシャルワーカーなのだろう。

仕事柄、人間の死に目を何度も見てきた。しかし、人間の本質エッセンスに触れた感覚はまったくない。労働による疲労と、アルコールによる宿酔と、ストレスによる苦悩で、神経が磨り減らされているだけだ。主観的な体験を重ねるだけでは本質を掴むことはできない。それを普遍的な経験として語るためには、理性による反省が絶対に必要なのである。エッセンシャルワーカーを称揚することは、一方、学問、芸術など、直接生産に与しない事業を「非本質的」として貶めているのではないだろうか1。しかし、事物の本質を明らかにしてきたのは、いつも「不要不急」の学問、芸術なのである。

私はエッセンシャルワーカーになりたくない。


  1. それはファシズムやボルシェヴィズムの全体主義体制に似ていなくもない。