どんなときも。どんなときも。


槇原敬之 - どんなときも。

槇原敬之のベストアルバム『Smiling』を聴きながら、この記事を書いている。2020年に氏は覚醒剤取締法違反で逮捕、起訴され、懲役2年、執行猶予3年の判決がくだったが、ネット上では新型コロナのニュースの隙間を縫って、「遠く遠く」、「どんなときも。」など、氏の有名な楽曲をもじった、皮肉な調子の記事が散見される。週刊誌お抱えのプロのライターでも、この程度の記事しか書けないのか。醜聞スキャンダルの域を出ていないのである1

春は残酷な季節——出発と別離の季節である。不慣れな環境、あるいは、馴染み切った環境に置かれて、自分の本来居る場所はココジャナイと思って、「消えたいくらい辛い気持ち」を抱えている時がある。活躍している、成功していることだけが人生ではない。むしろ、ほとんどの人は不遇の時を過ごしている。こんなものだろう。いや、こんなはずじゃなかった——。自問自答を繰り返す。ふて腐れてしまう時、絶望的デスパレイトな気分に陥って、自暴自棄になる時、私は槇原敬之の「どんなときも。」を聴いて耐えた。


どんなときも。/ 槇原敬之 カバー by DUC [パワーコーラス ]


  1. 開高健は小説の執筆が行き詰った時、『週間朝日』の委嘱記者として、『ずばり東京』、『ベトナム戦記』などのルポルタージュを記した。彼の凄い所は、小説家から記者に転身して、虚構フィクションではなく、事実ファクトを追究することを求めても、その文章から情緒と思想が失われなかったことである。事実を書けばよし、とする凡百の記者の素朴リアリズムの態度から、彼は遠い所にいた。

beloved

大学に入学した初めの年に、〈基礎文献講読〉という科目を受講した。ゼミナールの形式で、各自が輪番で課題の文献の要約レジュメ寸評コメントを発表するのだが、その最初の文献が、トニ・モリスンの『愛されし者ビラヴド』だった。小説である。これにはいささか当惑した。せっかく、勇んで大学の法学部政治学科に入学したのに、ゼミでわざわざ小説を読まされるとは……。早熟とはほど遠い、普通の大学生に対して、自由主義リベラリズムとは何か? 社会主義ソーシャリズムとは何か? 女性主義フェミニズムとは何か? 人種差別レイシズムとは何か?……法律、経済と関連させて、体系的に教えた方がよかったのではないか。その方が、法学、政治学を専攻する学生の志望に即しているのではないだろうか。最初に、小説などの文学を題材にしては、政治学の輪郭が曖昧になる。政治学と文学のけじめがつかない。学生にしてみれば、法学部に入学したのか、文学部に入学したのか、分からなくなってしまうではないか。政治学を深化するために文学作品を読むのは、学部の基本的なカリキュラムを終えてからでいい。少なくとも、それは政治学の方法のひとつに過ぎない1。政治思想ないし政治理論の研究者には文学趣味を持つ人が多いが、それでも本業の政治学を抛り出しては、同業の政治学者は目も呉れなくなる。相手にされなくなる。政治学者が小説を読むことは、本当は恥ずかしいこと、良心の呵責を感じることなのだ。だからこそ、それがたまたま研究の隘路を打開するとき、本当に画期的、異端的になるのだ。ただし、そのためには政治学の基本的な思考法を身に着けていなければならない。

再び『愛されし者ビラヴド』に話を戻そう。小説の内容はほとんど忘れてしまったが、黒人女性のビラヴドは、最後は怨念によって、メデューサのような姿に変化して、解放奴隷の住む集落を亡霊のように徘徊していたような気がする。所謂、マジックリアリズムというやつで、超現実的な空想を駆使することで、日常に隠蔽された現実/真実を正しく表現しようとする技法、態度、信念である。かつて愛されし者ビラヴドは、どうして、妖怪に姿をやつしたのだろうか?

先日、酒場バーで飲んでいると、そこのマスターに「兼子さんは愛され系だよね」と言われた。その時、私は既視感デジャブを覚えた。ちょうど1週間くらい前に、職場の(元)同僚が異動する私に向かって「兼子さんは愛され系だよね」と同じ言葉を放ったのだ。

「ただ人から愛されるだけの人間の生活は、くだらぬ生活と言わねばならぬ。むしろ、それは危険な生活といってよいのだ。愛される人間は自己に打ち勝って、愛する人間に変わらねばならぬ。愛する人間にだけ不動な確信と安定があるのだ。愛する人間はもはや誰の疑いも許さない。すでにわれとわが身に裏切りを許さぬのだ2」。リルケの愛の概念は世間的な人間関係に留まらず、むしろ、超越的な芸術家の情熱を含んでいるが、私は世の中の結婚の失敗の原因のほとんどは互いに「愛されること」を求めた結果だと思うようになった。しかし、近頃、私のそのような悲劇的な愛の理解は修正を余儀なくされている。

「愛されること」は才能ギフトだと気づいた。それはその人に祝福されている感覚をもたらす。これは芸術家にとって絶対に必要な経験である。キリスト教徒はそれを恩寵グレイスと呼ぶ。畢竟、それは愛なのだ。


  1. 『体験と創作』に代表される、ヴィルヘルム・ディルタイの伝記的研究に端を発していると思われる。研究者は作品を読むことを通じて、対象の主観ないし内面を把握(理解)することを要求される。浪漫主義的な方法である。

  2. ライアー・マリア・リルケ(大山定一/訳)『マルテの手記』新潮社、新潮文庫、1953年、251頁。

伊興から松戸へ

3月1日より、勤務地が東京都足立区伊興から、千葉県松戸市五香に変わった。昨年末に私が「もっと都会で働きたい」と上司に訴えて、協議を重ねた結果である。私にとって「都会」とは、狭義には東京の「中」、すなわち、中央区千代田区、港区を指すのだが、実際に辞令を読んでみると、千葉県松戸市と書かれてあった。——もはや東京ではない。なんという皮肉! 勤務初日の当日、五香駅・西口を出ると、目の前に過疎化した商店街が拡がっていた。テナントはガラ空き。借主は不在。いや、賃貸借以前の問題で、建物は老朽化して使用に耐えないように見えた。ゼロ年代以降、人間と資本の誘致と育成に失敗した地方都市の惨状を目の当たりにした。首都圏でも郊外はこれほどまで荒れ果てているのか。私の職場は五香駅から、さらに18分ほど歩いた所にある。足腰は鍛えられるだろう。

かつて郊外は中産階級の理想郷であった。都会と田舎が適度に組み合わされたその土地で、彼らは健康的で文化的な生活を送るつもりだった。その郊外が没落している事は、中産階級が没落している事を意味するのだろうか?

私の職場までの乗車経路は次のとおり。高砂→金町→松戸→五香。乗り換えが多いかもしれないが、次の電車までの乗り継ぎがいいので、待ち時間のストレスは感じないかもしれない。また、金町には葛飾区中央図書館があるので、通勤の行き帰りに本を借り入れることもできる。松戸への転勤の決め手は、実はこの点にあった。私の向こう3年間は学究生活を送りたいと思う。私はつねづね「学生のような生活を送りたい」と言っていたが、それを実行に移すのだ。そして、遊びたい時、気晴らしをしたい時は、松戸に行けばいい。「それでも私は幸せだった。酒場バーが開いていたからだ」。

会食

「私、最近眠れないの。だから、睡眠薬を処方してもらっているのよ。マイスリーと言ったかしら」

会議室のテーブルで食事を摂っている女性は、中年、いや、老年に差しかかっていた。目の下の隈が不眠がちで疲労した様子を感じさせた。

彼女は続けた。「私、鬱病じゃないかしら」

「私は躁鬱病ですよ」彼女の質問に対して、軽率に答えることができないので、あくまで同病のよしみであることを示すにとどめた。「私も以前、睡眠薬を飲んでいたんですけどね、酒飲みなので、酒と睡眠薬の取り合わせは悪いので、(睡眠薬を)止めてしまいました。相互に依存する傾向がありますからね、薬物中毒者ジャンキーみたいになりますよ。今は抗精神病薬——躁鬱病統合失調症の薬——を調子が悪い時に頓服で飲んでいます」

「うちの主人も」彼女は淀みなく言った。「躁鬱病なんです。でも、あの病気って、躁の期間はごくわずかで、ほとんどの日々を鬱で過ごすのでしょう?」

「そうですね。躁鬱病は別名、双極性障害と呼ばれます。病気は病気、障害は障害、です。それ以外の何物でもありません。しかし、私はこの宿痾をGiftだと思っているのですよ。この言葉には〈贈物〉と〈才能〉と〈毒〉という三つの意味があるのです」

「だから、私たち、惹かれ合うんでしょうね」

彼女の感慨に対して、私は沈黙と微笑をもって答えた。個体化された人間が分かり合う日は来るのだろうか? それは相互に求め合った人間同士の誤解に過ぎないのではないか? 分かり合うこと、理解すること、これは結局、人間の意志と良心の問題ではないだろうか。

「私、大学に行こうかしら」

神道に興味があると言っていましたね。私はキリスト教徒ですが」

「入社当時のコンパでそんなこと言っていたわね」

「大学で政治思想史を勉強していましたからね。『聖書』を読むんですよ。すると、卒業して10年たっても、自分の思考がキリスト教に規定されているのが分かるんです。母校にチャペルがあるんでね、私は再び大学に通い始めました。私はキリスト者になることで、再び政治的に思考し始めたんです」

「やっぱり、……政治」

「私は職場で左翼、就中、社会主義者として見られているんですよ。現代は個別アトム化する傾向にあります。すると、人間は自分のことしか考えなくなります。自意識過剰になります。孤独になります。人間たちは再び社会を結成しなければならないのです。その意味で私は社会主義者ですね」

「右翼の私の敵……」

「さあ、どうでしょうね」

私は粗茶を一喫すると、食事のトレーを持って、会議室を出た。

茶と香

禁酒2日目。酒の代わりになるものを、あれこれと探したあげく、緑茶に辿り着いた。衆知のとおり、緑茶にはカフェインが含まれているので、夜、寝る前に飲むには不適切かと思われるかもしれないけれど、急須で淹れた温かい煎茶を飲むと、案外、よく眠れるのである。一説には、緑茶に含まれる、テアニンというアミノ酸の一種が神経の興奮を鎮めて、心地よい眠りをもたらすそうだが、単純な化学的な要因に尽きずに、お茶の味、香、温度、雰囲気などが総合的に作用して、私の荒んだ神経に落ち着きを与えてくれるのだろう。私は今まで左党ないし珈琲党で鳴らしていたが(目覚めに煎茶を淹れるのは年寄の習慣だと思っていた)、意外にお茶と相性がよかったのは思わぬ発見であった。今後、緑茶に限らず、紅茶、花茶、烏龍茶、プーアル茶など、さまざまな茶葉を試してみたい。それに、私にはもともと香の嗜みがある。書斎で線香を立てて、茶を一喫していると、中国の文人になった気分になる。

禁酒をしたことで、肉体は健康になったけれども(消化器が著しく良くなった。私の腸壁はアルコールで爛れていたのだ)、肝心の精神の方は大して健康にならなかった。依然、抑鬱に悩まされている。躁鬱病は私の宿痾だと観念して、毎日寝る前に、抗精神病薬 ジプレキサ 2.5mg 1Tを飲むことにした。昨夜、久しぶりに飲んでみたけど、早朝の過眠、日中の傾眠もなく、マイルドに効いている感じだ。適度に飲酒欲求も抑制されるだろう。薬を飲むことで、以前は際限なく思われていた活動が制限されてしまうけれど1、生きるためにはそれも仕方ない。別の所に意識を向けて、そこに自由を見つけるしかないのだ。


  1. ケイ・ジャミソン(田中啓子/訳)『躁うつ病を生きる:わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?』新曜社、1998年に、服薬に対する患者のジレンマが描かれている(例えば炭酸リチウム)。躁鬱病者は自分が薬を飲むという事実をなかなか受け入れられない。薬を飲むことによって、彼/彼女は自由の翼を奪われたと感じるからだ。

確信犯

哲学の始祖 ソクラテスは市中の若者をつかまえて、「無知は罪である」と語ったそうだ。この罪に関するギリシア的理解は、20世紀の哲学者 ハンナ・アレントも受け継いでいて、第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所ユダヤ人を機械的に送り込み続けた、ナチスのアドルフ・アイヒマンを「凡庸な悪」と名づけた。思考の欠如、想像力の貧困が悪を招くと、彼女は見た。しかし、この見解は私にとって日和見のように思えてならない。勉強をすれば、悪を退ける。罪を免れる。いかにもインテリが好きそうな理論だ。正義の知識人の偶像はこうして作られる。

一方、19世紀のデンマークの哲学者、神学者セーレン・キルケゴールは、人間は悪を知りながら、悪を行う存在である、と見た。彼のこの悪ないし罪の理解は、前者のソクラテスギリシア的理解に対して、キリスト教的罪の概念と言った。この妥当性は私にはまだ分からないけれども、キルケゴールの人間理解は、私の犯罪心理学におけるコペルニクス的転回をもたらした。人間に対する理解が前進した。確信犯の気持ちを分かり始めた。これは小説を書きたい、ルポルタージュを書きたい、と思う私にとって、大いに益する所である。

物心ついた頃から、どうして、私は悪に惹かれるのだろうか? それは私の密かな権力への意志であり、私の悪魔主義の根底には、全知全能の錬金術師に対する憧れがあるのだ。

けれども、昔、私が職場で上司をケムに巻こうとして失敗したときの、同僚の言葉を思い出す。

「まだまだワルにはなれねえな」

自由の代償

齋藤純一『政治と複数性』を読了した。

最近、私の政治学に対する情熱が再燃している。休日に図書館の書架を眺めては、気まぐれに手にした本を借り出し、その本の参考文献をインターネットで調べているうちに、Amazonでポチってしまう。断捨離とは無縁の生活。書架にもはや収まらないので、書斎の、寝室の床にまだ読んでいない本がうず高く積まれている。そろそろ古本屋の利用の仕方を本格的に覚えなければならない。

私はどうして政治学を学ぶのか? 世界金融恐慌、東日本大震災新型コロナウイルス……過去から現在に至るまで、私たちは様々な災禍に見舞われてきたし、それは未来まで続くだろう。「世界史は不幸の歴史である1」。それは一見、天災のように見えるが、紛れもなく人災の様相を帯びている。現象を自然としてではなく、作為として見ること。科学はそこから始まる。それはまた、人間の知情意を、畢竟、悪に対する認識をいっそう深めるのだ。もう一度、問う。私はどうして政治学を学ぶのか? 私たちは物心ついた時から、いや、世界に生まれた時から政治に曝されてきた。このまま好きなようにはさせない。唯々諾々として従わない。そんな思いがある。「この国の人々は本当に政治された2」。

実存主義

ハンナ・アレントの功績は、政治思想に人間の実存の問題を持ち込んだことだと言われる。すなわち、個人の感覚、経験、思考を重視する立場である。これは一方では正しく、一方では間違っている。たぶん、アレント本人に訊けば、苦笑されるだろう。

実存の問題を政治思想に持ち込んだのは、アレントが最初ではない。それはヘーゲルマルクスにおいて、政治思想(社会思想)として構想され、レーニンによって先鋭化した。また、ニーチェベルクソンハイデガーにおいては、既存の体系を脱構築ディコンストラクションする哲学として構想された。人間の主観、内面をもとに哲学すること、所謂、「生の哲学」は彼らの発明品ではない。その萌芽はすでに近代のロマン主義に表れていた。ゆえに詩人が最大の実存主義者たりえるのである。たとえば、リルケの小説の一節。

彼はあわてていろいろなものを脱ぎ捨てたり忘れたりするのに忙しかった。上手に何もかも忘れることが必要なのだ。[…]家の中へ入るともっといけなかった。特有な家の匂いが、もうほとんど万事を決定してしまうのだ。些細なつまらぬことが少しぐらい変わろうと、全体から見れば、彼は結局人々が考えていたままのこの家の息子に違いなかった。家の人々はつまらぬ彼の過去と自分らの勝手な希望を結びつけ、すでに彼の生涯の略図をこしらえてしまっているのだ。彼は一家のものの共有物のようであった。夜も昼も、人々の愛の暗示に取囲まれ、人々の信頼と猜疑にはさまれ、もはや何をしても賞賛と非難の目から逃れることができなかった。

だから、どんなに注意深く階段を歩いても、それが何の役にも立たぬのだ。家族はみんな居間に集まっている。そして、ドアが開くと、一斉にこちらへ視線が集まるのだ。彼はわざと物陰に隠れて、何か声をかけられるのを待っていた。しかし、それからが全く大変なのだ。みんなが彼の手をとってテーブルまで連れてゆく。そこにいる限りの人々が、ランプの前に好奇な目を光らせて身をのりだす。人々はひどく有利な立場にいた。めいめいは暗いランプの灯影にいて、明りはただ彼にだけ集まるのだ。あらゆる羞恥が一人彼を包むのだ。彼はできたら、人間の顔をなくしてしまいたいと思った。

ライナー・マリア・リルケ『マルテの手記』

私は実存主義とは何たるかを、リルケとヘッセから学んだ。だから、大学で学生たち、教員たちが、やれ、アレントだの、フーコーだの、デリダだの、最新の「現代思想」を論じている(奉じている)様を冷ややかに見つめていた。

齋藤純一は虐げられ、蔑まれた個人ないし集団が、偏見などの悪しき表象を打ち破り、みずからの存在を現す(曝す)ことを政治的な行為と見なした。しかし、それはおそらく齋藤自身も自覚しているように、ユニークな思想ではない。当時、流行していた思想を、良心的な左翼の学者が綺麗に纏めた印象を受ける。しかし、他者をして自身に押し付けられた表象を破壊する行為は、綺麗事では済まされない。その行為はいかなる性質を持つのか。後述するように、その契機モメントは人々の会話にある。

自由主義

「私はあなたの思想、信条、趣味、財産を侵害しない。だから、私の思想、信条、趣味、財産を尊重してほしい」これは自由主義の原則であると同時に、個人主義の原則である。この政治思想は近代の宗教革命——思想信条を巡る血で血を洗う経験によって生まれた。その結果、政治権力は特定の宗派セクトを迫害してはならない、という寛容の原則が生まれた(例えばイングランド国教会は国内のカトリック教徒を迫害してはならない)。自由主義者は個人の思想、趣味、性的志向に踏み込まない。それゆえ、「権力からの自由」が彼/彼女の理想的な生き方である。この主義イズムは資本主義の経済活動を加速した。するとどうだろう。私たちは互いの生活に無関心になる。孤独な人生観が浮上してくる。「僕は自分に誠実になればなるほど、君から離れていく。孤独こそ我が故郷なりディ・エインザムケイト・イスト・マイネ・ハイマート3」。

近代における最大の政治思想である自由主義は、政治、経済、科学、芸術、技術を発展させることによって、個人に多様な生活様式を送ることを可能にさせた。しかし、その代償として、自由は私たちに孤独になることを要求した。孤独は近代人が担うべき重荷の一つである。話を実存主義に戻そう。私たちの道徳モラルは個人の感覚、経験に基づく。この点において、実存主義自由主義は一致している。しかし、それだけでは社会ソサイエティを作ることはできない。会話が、私たちの社交ソーシャルで交わされる何気ない会話が、孤独という自由の牢獄を破壊するために絶対に必要なのだ。


  1. フリードリッヒ・ヘーゲル『歴史哲学』

  2. 開高健『輝ける闇』

  3. 夏目漱石『行人』