出版からWEBへ

表題は何を今更という感じがするが、今回の転職活動では出版業界ではなく、WEB業界を第一志望にすると思い定めた。すると、希望の職種はWEBライター、要するにWEB媒体を専門に書くライターに焦点を絞ることになった。

今まで書籍、雑誌など、紙媒体に拘っていたのにらしくないじゃないか、と思われるかもしれないが、幸か不幸かこの3年間、私は紙媒体に文章を発表することができなかった。その代わりにブログと呼ばれるWEB媒体で文章を発表し続けてきたのだが、それがある程度の経験を蓄積したと自覚し始めたからである。

書籍、雑誌などの出版業界における原稿ネイティブデータの標準はWordとInDesign、そして、少々マニアックな所にLaTeXが食い込んでいるが、WEB業界におけるそれは、MarkdownとHTML/CSSである。その形式は普段、私がはてなブログを更新する過程で親しんでいるものである。もっと簡単に言ってしまうと、出版業界は未だバイナリデータが支配的であるが、WEB業界はテキストデータが普遍的なのである。私は後者の方が遥かに心地よい。私はプログラマではなく、一介のライター過ぎないが、素人目には前者に見まがわれることがある。その理由は執筆の最中にテキストエディタとターミナルを睨めっこしているからである(万年筆とルーズリーフの時もあるが)。私はテキスト文化に憩い、そこに安らいでいる。ゆえに私はWEB業界に行きたい。

階級の恨み

介護について書きたい。というよりも、介護について社会学したいと思ったけれど、これについて具体的に書くと、カドが立つので、今回は抽象的なレベルの話に留めておく。こういうことは普通、その出来事が生起している場所から身を引いて、しばらく経った後に、過去を回顧する形で書くものだが、私は5日フルタイムで働いて、仕事もこなれているので、現役バリバリのように見えるが、その実すでに引退していて、心ここに在らずなので、こうして客観的に書けるのだろう。「ミネルヴァの梟は夕暮に飛び立つ」。

社会福祉法人の特別養護老人ホーム/有料老人ホームに勤務して4年が経つが、周囲の人々にチヤホヤされて、と言うと語弊はあるが、人々の親切と恩恵を享けて、ここまでやってこれたのは事実である。しかし、良いことばかりではなかった。時に人の不興を、憎しみを買うことがあった。世間の人々は祝福された存在に対して、それを認めて愛するか、あるいはそれを妬んで憎むか、いずれかの行動を取る。この双極的な振れ幅はなぜ生じるのか? それは人格のような人間学的な問題に尽きない。明らかに社会科学(社会学)的な問題が存する。つまり、人の好悪という一見、感情的な現象でも、そこには確実に階級的な原因が存在するのである。

私は中産階級の出身である。しかし、高等教育と教養によって、この限界を超えようとした。初めは知識人として、次は芸術家として、自己に課せられた階級的くびきからの脱出を企てた。こういう偏差値を無視した、逸脱した行動は、異常でも何でもなく、知識社会学ないし芸術社会学において、知識人と芸術家の思考/行動様式の典型として認められている。

自己の範疇を超える人物には特別の光輝かがやきがある。知識人と芸術家はその理念型において、超階級的存在である。それは一見、上流中産階級の理想像のように見えるが、全き知識と全き芸術は階級、民族、性別等を超えて、普遍的である。現実としてそれはまだ不完全でも、理想としてはそれが真実であり正義である。本来の知識人と芸術家はそのような思いで仕事に励んでいるはずだ。

しかし、そんな人間が社会に一歩出ると、人々のいつくしみを得ると同時に、おそらくそれ以上の妬み、恨みを買うのも事実である。芸術家ないし知識人は社会的(社会学的)に特異な存在である。彼等は社会の中で特別な使命を帯びているので、大衆の中に居ると目立つ。彼等の毀誉褒貶の対象になるのだ。

私は介護現場で何度もそのような現実に直面した。それは階級の恨みと呼ぶべきものだった。私が世間知らずの初心だったことも相まって、その強さ、激しさに驚いた。そのうちポジティブな感情よりもネガティブなそれにぶつかることが多くなってきたので、結局、私の居場所はここにはないと観念して、この業界から潔く身を引くことにした。彼等の心と同じように、私の心も頑なになったのかもしれない。

反攻の年

元旦。私は相変わらず立教大学のチャペルに居た。聖餐式の5分前、隣の会衆委員の丸茂さんが「今年は兼子さんにとって、飛躍の年になりそうですね」と言った。私は合掌し、左右の親指を交差させて言った。「然りアーメン

実際の新年の私は精神的エネルギーが枯渇した、脱殻のような存在である。体力的には疲れていないが、精神的に参っている。創作に気を回す余裕がないのかもしれないが、これを辞めたら、凡夫の私には何もいい所がなくなるので、死ぬまで続けるしかない。創作者の死はその人から光輝かがやきを容赦なく取り上げる。

短歌は再び書ける予感がある。しかし、創作と併せて研究も進める必要がある。今、北原白秋を読んでいるが、大して響かなかった。これなら若山牧水の方がいい。私はそこまでの理論家ではないが、純然たる感覚派は苦手なようだ。近藤芳美と塚本邦雄に向かう必要性を感じる。

小説は何とか歴史小説の短編を書けそうだが、もう少し情報と身辺を整理してからの方が作品に集中できそうである。今年は短歌と小説を集中的に書くが、後者は特に習作をバンバン発表したい。ブログはそのための媒体にしてもいい。作品の品質がある程度保証できるようになったら、Kindleの電子書籍として、作品を出版、販売する。いわゆるKDPと呼ばれるセルフパブリッシングである。そのためにHTML/CSSを本格的に勉強する必要がある。TeXの知識ももう少し深化させる必要があるようだ。今度、池袋を訪れた際にジュンク堂の技術書の棚を覗いてみよう。文学と併せて、技術の勉強も同時に進めること。

等々、今年は個人事業主としての飛躍の年なので、転職先はそこまで真剣に考えていない。もはや出版業界にこだわっていない。然るべき収入と時間が確保されれば十分である。会社の業務は私の創作を下支えしてくれればそれでいい。否、むしろ邪魔立てさえしなければそれで十分である。2023は反攻の年である。

紫煙と決意

大晦日。私は相変わらず老人ホームで働いていた。勤務中、後輩のNくんが「兼子さん、この後お時間ありませんか?」と訊いてきた。私はてっきり、彼が最近吸い始めた煙草について、一緒に紫煙をくゆらしながら語り合いたいのかと思った。「いいよ。でも、竹ノ塚で煙草を吸える喫茶店って少ないよね? 健康増進法と東京都の喫煙条例のためにほとんど吸えない。むしろ、酒場バーなら吸えるけど、大晦日にやっているかどうか……」私がそのような懸念を表明すると、彼はそのような世間的な諸事情はまるで顧慮に値しないとでも言うように、踵を返し、再び業務に戻っていった。頼もしいというよりも、どだい調査リサーチが足りない。私とNくんの典型的な行動である。見切発車で事を始める。進める。そうなると、その仕事は詰めが甘くなるし、実際そのとおりだが、時に力業でやり遂げることがある。

6時間後、私達は牛繁 竹ノ塚店に居た。「煙草を吸える店に行きたい」とのことだったが、そんな店はパブとかスナックとか以外に開いてなく、結局、普通のチェーンの焼肉屋に入ることになった。店を開けて、灯りを点けてくれるだけでも有難いことである。

店に入り、席に着くや否や、彼は「兼子さんにプレゼントがあるんです」と言って、無印良品の紙袋を取り出した。「ご自身で開けてみてください」袋の中には、ボールペンとノート、そして、ZIPPOのライターが入っていた。ボールペンは水性の細字。ノートは狭いスペースでも開きやすいリング綴じである。特筆すべきなのはZIPPOで、これはパイプ専用である。偶然と必然が上手く絡み合い、私の気難しいのぞみに上手く応えてくれた。そして、私達はNくんの御馳走の焼肉をガツガツ食べた。最近、彼も一人暮らしを始めた。一人、自分と向き合う時間が長いので、人と一緒に御飯を食べるのが堪らなく嬉しいそうだ。男性介護労働者一組のこんな大晦日があってもいい。Nくん、一人暮らしおめでとう。 誰にも譲ることができない、自分だけの希望のぞみを叶えられるといいね。

焼肉屋を出ると、私達はZIPPOのパイプライターで、紙巻に火を着けた。私は喫煙という行為に、孤独と貧困に負けない若者の意志を感じた。

ZIPPO パイプライター

SpeakEasy

自宅がサロンのようになっている。今年の初めの頃だろうか、会社の総合職を降りて、個人事業主として独立した頃から、友達が家に遊びに来ることが増えた。だいたい酒を飲んだり、煙草をくゆらせて過ごすのだが、冗談の中にも真面目な会話があり、その一瞬の啓示にハッとさせられることがある。酒場で飲めば数時間いるだけでそれなりの金額を取られるが、自宅で飲めば1200円のウイスキーを二人で割る計算である。それで朝まで居られるのだから、相当安上りである。特に冬は寒さのあまり、コンビニの前で一寸ちょっとイッパイということができないので、結局、暖房の効いた家に向かうことになる。最近はコタツを導入したので、そこを寝床にする奴もいる。酒場では憚れる会話も、自宅ならば許される。この愉しみを覚えると、外で飲食する機会は少なくなり、ますます家に引き籠るのは自然の流れである。わが家の誠命いましめはスピークイージーである。

旗日を忘れし人

旗日のない生活をして久しい。キリスト教徒になって、クリスマスと正月は奪還したけど、他は以前として祝日の感覚がない。とまれ、私は先に「旗日」と書いたが、私は国家が恣意的に制定する祝日に対して関心がないので、この状態でも特に不都合はない。

政治哲学者の南原繁はキリスト者であると同時に国家主義者であった。この点は銘記されていい。彼は歌集『形相』で靖国を賛美する歌を書いている。無教会派は徹底した個人主義だが、それを支える社会を否定するために、国家(国体)に案外飲み込まれやすい。共同体を形成する真の紐帯は何か? それは南原の政治哲学の永遠のテーマであり、彼はそれはと答えたが、彼のその愛は個人と社会を超えて、国家をも包んでいた。彼を批判するのは易しい。しかし、彼の功績は政治学に力(権力)だけでなく、愛(恩寵)の必要を訴えたことである。弟子の丸山眞男は師のこの教えを受け継がなかった。彼には彼の問題があったし、もともとその気質でもなかった。天才はジャックナイフのような冷徹な知性を持ち合わせているらしい。

枯草

今年、すべての力を使い果たした。あとは慣性で仕事をする。

来年、転職活動で好調なスタートを切れるように、今年中に仕込みをしておく。履歴書と職務経歴書はもちろん、転職サイトのポートフォーリオのメンテナンスもしておく。

転職先で重視するのは、年収と労働環境。これは譲れない。むしろ、今より改善されることは確実だ。条件が良ければ業界、業種は問わない、といえば嘘になるが、出版/WEB/福祉を目指そうと思う。ちなみに福祉に関して求めることは、現場仕事はもうやらないということだ。4年間、私は現場で十分働いた。老人ホームで働いた年月は余計だったのではないか、と後悔する時があるが、介護福祉士の資格を取得したのはよかった。一応、躁鬱病も寛解した。これは自信になった。

「三十にして立つ」という。気力が充実し、それが体力を牽引する時だ。来年は己の本来の志望に沿った仕事がしたい。そして、それを下支えするための勉強がしたい。私の三十代は容易に絶望しなくていい、ということを経験として学んだ時期なのかもしれない。希望は現実的な認識である。それは予感として存在し、その一部はすでに叶えられているからだ。