BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

熱量

12月13日。職場の忘年会。竹ノ塚駅・東口の〈博多劇場〉で開催される。いつからだろう。飲み会、宴会、総会、納会、忘年会と聞くと血が騒ぐようになった。私は忘年会を1ヶ月前から心待ちにしており、確実に参加できるように、当日のシフトは公休にしたのだ(遅番、夜番に回されると、忘年会に参加できなくなる。そう、私達の会社は社員全員が同じイベントに参加できる訳ではないのだ)。普段、お世話になっている先輩、後輩、上司と酒の力を借りてオチカヅキになりたい——そんなことを期待していたのだが、蓋を開けてみれば、テーブルではいつもと同じ面子が顔を突き合わせ、路上ではいつもと同じ面子が少々なごり惜しそうに別れたにすぎないことに気づいた。新しい出来事、新しい発見はあった。しかし、新しい出会いはなかった。あったとしても忘れてしまった。道端で同僚と煙草を吸ったことが記憶に残っている。

12月14日。忘年会の翌日は二日酔いで会社に行けませんと言うかのごとき有休である(もちろん、事前に申請した)。10時過ぎに目を覚ましたが、頭痛がするのと、少々、頭がおかしくなっていたので、薬を飲んで、もうひと眠りする。14時過ぎに目を覚ます。嘔気はないが、少々、くだした。初めは二日酔いくらいに思っていた。忘年会のあと、同僚と赤ちょうちんで一杯やったあと、自宅の書斎で一人、ウイスキーを楽しんだのは確かだ。しかし、腹くだしが何度も続く。しかも、水様便。下腹がきりきりと痛む。ただごとではないことに気づく。

12月15日。会社を欠勤した。ビオフェルミン正露丸を飲んでみる。横になる。トイレに行く以外に、布団から出られなくなる。午後、こんなことではいけない、自分のためにも会社のためにも受診しなければならないと、洗いたてのスウェットに着替えて、京成線に乗り込む。目指すは〈金町休日応急診療所〉。あえぎあえぎ電車を乗り継ぎ、やっと金町駅に着いた。駅から徒歩3分だが、歩くのがつらかった。公立なので、古臭くて、質素な待合室。窓からは高架橋と夕日が見えた。医療はビジネスに違いないけれども、本来の現場はこういう所なんだなあとしみじみ思う。女性のドクターに診察してもらう。お歳は60くらいだろうか。問診、聴診、触診で病巣を探り当てていく。頼もしい。「あなたのケースは非典型的ですね」感染症は否定される。「腸が盛んに活動しているようです。あと1回はくだすかな」「整腸剤をお出ししますね」ビオフェルミンを3錠、受け取った。

12月16日。また会社を欠勤した。ピークは過ぎたけど、依然、腹くだしは続く。歩くのが大変である。午後、布団にうずくまっていたら、会社から電話がかかってくる。明日、朝7時に出勤が決まった。夕食に納豆ご飯を食べる。2日ぶりの食事である。ちなみに納豆はひきわりである。

12月17日。ほとんど寝てない頭でくらくらしながら出勤する。午前中の仕事は、服薬介助と食事介助と事務が中心である。昼食は社員食堂でとる。中華丼は胃腸にヘビーだったけど、中華スープは優しく染みわたった。午後は排泄介助。肉体労働である。次第に冷えた体が熱くなってくる。「元気でいられるから元気でいられるから」好きなフレーズを口ずさむ。明日は夜勤である。2人で50人の利用者に対応しなければならないから、死力を尽くして働かなければならない。体を冷やしてはならない。