1963年、ケンブリッジ。朝靄の中、二人の若者が自転車を走らせている。
若者の一人は、スティーヴン・ホーキング。やがて、その名は理論物理学者として知られることになる。
映画『博士と彼女のセオリー(The Theory of Everything)』の冒頭である。同作の音楽を担当しているのは、アイスランドの作曲家 ヨハン・ヨハンソン。すでに故人であるが、48歳の生涯で、映画音楽に新風を巻き起こした人である。今後、彼の音楽を積極的に聴いて往きたいと思う。
それはともあれ、『博士と彼女のセオリー』は宗教的な作品、もっと詳しく言えば、信仰をテーマにした作品である。
ケンブリッジ大学の大学院生 スティーヴン・ホーキンズは、友達のパーティーで、ジェーン・ワイルドに出会う。スティーヴンの専攻は物理学(Physics)、一方、ジェーンの専攻は文学(Arts)。文系と理系、水と油のような存在である。そして、スティーヴンは言う。
「物理学は無神論者の宗教さ。君……もしかして、信仰はあるの?」
「CE」
「?」
「Church of England(イングランド国教会)」
無神論者とキリスト者。彼氏は前衛的な物理学を研究しているが、彼女は保守的なイングランド国教会(聖公会)に帰依している。普通ならば、これは敵か味方かの問題である。
それでも、彼等は結婚する。スティーヴンの不治の病 ALS(筋萎縮性側索硬化症)を乗り越えるために。
しかし、スティーヴンの病が進行するにつれて、また、彼が世に天才として認められるにつれて、夫婦の溝は深まってゆく……。
病気だけが問題ではなかった。二人の亀裂、誤解の背景には信仰の問題が横たわっていた。
ジェーンは神を信じていた。しかし、スティーヴンは神を信じていなかった。これは純粋に思想良心の問題に思えるかもしれないが、実は違う。「愛とは何か? それは本当に在るのだろうか?」という純粋に思想的かつ生活上の問題だった。
結果的にスティーヴンとジェーンは離婚する。その後、彼は看護師のエレイン・マッソンと再婚する。とある日、スティーヴンは学生に講義をしている時に不思議な経験をすることになる。
講義中、女子学生がふと、ペンを床に落とした。電動車椅子に坐っているスティーヴンは、一瞬、自分の身体が自由になったような感覚を覚えて、床に落ちたペンを拾う。一瞬、彼は敬虔な気持を感じたのである。
かつて、使徒ヨハネは『福音書』に記した。「神は愛なりき」。その時、スティーヴンは神と共に居たのだろうか? それとも、神なくしても、人の愛は存すると思ったのだろうか? その本心は分からないが、おそらく、人は誤解と不仲を乗り越えて、ようやく愛に辿り着くのだろう。