福祉と出版

暴飲暴食が祟ったのか、左足の母指球が痛風気味だ。年末年始のストレスを明らかに食と酒にぶつけている。問題は本質はそれよりももっと根深いが、〈食べる・飲む・働く・ときどき交わる〉のサイクルを回す以外に方法がないので、この循環がひとたび崩れると、病気になるんだと思う。全体的に心と体が疲れている。薬を飲んで眠ろう。私の人生はそれなりに厳しい。

文学者ライター編集者ジャーナリストとして、私はまだまだ駆け出しである。介護職から転じて、まだ1年経っていないという事実に驚く。よくやっているが、至らない点を挙げればキリがない。今、出来ることに心を砕き、仕事が仕事を掴むサイクルを構築するしかないのだ。

福祉に対する未練もない訳ではない。理由は簡単である。福祉はジャーナリズムに比べて遥かに安定していて、なおかつ起業しやすいのである。出版不況、広告不況の現下で、ジャーナリズムで起業するのは、福祉のそれよりも1000倍難しい。否、それ以上である。(日本の)福祉は報酬が少ないと常々言われているし、それは正しいが、結局、国家の庇護の下で営業しているのである。出版は逆である。国家は出版を庇護しない。むしろ、敵対するのである。2021年に廃刊に追い込まれた香港の『リンゴ日報』はその痛ましい範例である。