我と汝

根源語を語る人は、言葉の中に入ってゆき、その中に生きるのである。

マルティン・ブーバー『我と汝』

この頃、キリスト教神学に触れることが多く、それと関連して、哲学書を読む機会が増えている。しかし、先日、フィヒテ『浄福なる生への導き』を読んで、本当に分からない箇所にぶつかって、自分の読解力の低さに愕然とした。学生の時よりも確実に下がっている。読書量が減ったためだ。

一方で、マルティン・ブーバー『我と汝』を読む機会を得た。冒頭から訳が分からなかったので、普通の読書では駄目だと観念して、手書きでメモを取り始めた。

〈なんじ〉を語るひとは、〈なにかあるもの〉をもたない。否、全然なにものをも、もたない。そうではなくて、〈なんじ〉を語るひとは、関係の中に生きるのである1

今後、ますます文学、神学について書く機会、語る機会が増えてくる。今のままの読書量ではぜんぜん太刀打ちできないだろう。バルザックのごとく、濃いブラックコーヒーを飲みながら頑張りますか。


  1. マルティン・ブーバー(植田重雄/訳)『我と汝』(岩波文庫、1979年)9頁。