ありがとう、オランザピン

10月11日をもって、持病の躁鬱病の治療薬をオランザピン(先発品:ジプレキサ)から、アリピプラゾール(先発品:エビリファイ)に切り替えた。

オランザピンを飲み始めたのは、精神科を受診した2017年以来だから、およそ4年間の付き合いになる。最初、1.25mgの単剤で処方されたが、その後、クエチアピン(先発品:セロクエル)を追加するなど、試行錯誤をへて、結局、2.5mgの単剤処方に落ち着いた。精神科を受診した当初、私は躁鬱病不眠症強迫性障害自殺念慮など、一口では説明できない、さまざまな精神症状に苦しめられていたが、この薬を飲みつつ、仕事、勉強、社交を通じて、人生と世間に折り合いをつけることで、傍から見ればまったくの健常者と言えるくらいまで回復した(しかし、一部では変人と見られている)。複雑に錯綜した、あらゆる精神症状に効く、抗精神病薬の効果を実感すると同時に、私は肥満、過眠、傾眠、口渇など、オランザピンの副作用に苦しめられた。再発予防のために飲み続けなければならないが、このままではQOLの低下は免れない。私は主治医に基本薬をアリピプラゾールに切り替えることを提案した。

この薬を飲み始めて2日目、すでに副作用が現れた。1日目は9mg(3mg 3T)を飲んで4時間で目が覚めたが、2日目は3mgを飲んで2時間で目が覚めた1。完全に早朝(深夜?)覚醒である。しかも、目が冴えて、興奮している。また、アカシジアの症状なのか、妙にソワソワする。落ち着かない。なんとなく、脳内シナプス間のドーパミンの濃度が上がったみたいである。軽躁ではないか! そして、思わぬ、嬉しい副作用として、酒を飲む気が起きない。オランザピンは眠り薬とすれば、アリピプラゾールは気つけ薬と言える。後者を飲んだ方が仕事はしやすいだろう。不眠が続くとしんどいが、血中濃度が一定になるまでの辛抱である。それまでには1~2週間かかる。その時、この薬を本当に評価できる。

手もとにオランザピンが20錠残っている。副作用の不眠を緩和するための、頓服の睡眠薬のように使いたい。

ありがとう、オランザピン。


  1. 主治医と相談して、適当に調節して、自分に合った容量を探している。

モニターが死ぬ

メインで使用しているラップトップコンピュータ1のモニターを開閉すると、画面にノイズが走るので、試しにACアダプタ、電池、ディスクドライブなどのすべての周辺機器を外して放電してみた。

一晩寝かせて、再起動したけれど、依然、画面に青い閃光が走る。モニターが接触不良を起こしているのかもしれない。机に据え置きにして使っている分には支障はないけれど、ある日突然、モニターが映らなくなるかもしれないという一抹の不安は残る。「モニターが死ぬ!2

年内に製造元のマウスコンピューターに修理を依頼したい。CPU:Celeron、メモリ:4GBの構成は2017年の購入当時でも貧弱であり、そろそろ買い替え時かもしれないが、私の主なコンピューティングはテキストエディタで文字を打ち、ターミナルを起動して、LaTeXコンパイルするだけなので、高度な演算能力は求めていない。むしろ、この非力なマシンで私は本格的にコンピュータの使い方を覚えたので、徹底的に使い倒したいと思っている。修理はソフトウェアを更新する絶好の機会だ。TeX Liveを2018から2020にアップデートして、次の10年に備えよう。


  1. というか、家にまともに使える機体はこれしかない。

  2. 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で、シャアがアムロとの戦闘中に発した悲鳴。

キャリア意識の形成

私が前の職場から今の職場に、すなわち、特別養護老人ホームから有料老人ホームへの異動が決まった際、同僚の石黒さんは社員食堂で白米を頬張りつつ言った。「もう(介護は)、兼子さんのキャリアになっているじゃないですか」

「キャリア」この言葉が他人から私に投げかけられたのは意外だった。母校の大学の就職課は「キャリア・センター」と呼んでいたが、その名称に対して、学生時代の私は違和感を覚えていた。また、その部署が後援する「キャリア意識の形成」という授業があったが、この講義も至極退屈だった。そもそも、当時の私は政治学を学んでいたにも関わらず、そして、その学問をアリストテレスが、経験の学、実践の学、と定義していたにも関わらず、私は実践知を軽んじていた。軽蔑していたと言ってもいい。私の関心は専ら理論的認識に向けられていた。その性向は今も変わらない。時折、講義に企業家、実業家、活動家、ビジネスマン……が招かれることがあるが、彼らの話は思想的に一貫性がなく、しかも、話すべき種が少ないようだった。現場の経験に密着し過ぎるとつまらない大人になる。その証左のように見えた。

脇道に逸れた。私は今、介護・福祉業界で働いているが、目先の仕事のつまらなさに絶望しないで、この経歴キャリアを大切に育てていこうと思う。それは今所属している会社を一生勤め上げることを意味しない。自分の意志と選択で、自発的に自己陶冶をすることが求められる。例えば、私の場合、新卒で就職したのが、新聞屋、出版社であり、そこでの楽しい思い出が忘れられないので、文筆業、出版業で活路を見いだしたい。また、私はグルメではないが(空腹は嫌だが、粗食は耐えられる)、酒は好きなので、飲食業にも挑戦したい。近頃、巷では「パラレル・キャリア1」という言葉が流行っているらしいが、複数のキャリアを同時に育てることも視野に入れていた方がいい。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは『経済発展の理論』において、企業家は異なる事業を組み合わせることで、革新イノベーションをもたらすと看破した。文筆と福祉、そして、飲食を組み合わせることで、私は世間に対して、何かを訴求することはできないだろうか?


  1. 製造業中心の高度経済成長時代の終身雇用制は中小企業の下層労働者の場合完全に崩壊したのだから、企業が労働者に副業、兼業を勧めるのは悪いことではないが(むしろ、副業、兼業を余儀なくされていると言うべきか)、この言葉は広告代理店の、ホワイトカラーの手垢にまみれているようで、口にするだけでも胸糞が悪くなる。しかし、それでも使わざるをえないのは、彼らのイデオロギーがある程度、現実と合致しているのだろう。

成人病覚書

痛風

指の関節に赤いブツブツができた。肉を食べ過ぎたり、酒を飲み過ぎた翌日にできることが多い。触ると刺すような痛みを感じる。おそらく、血液中の尿酸が結晶化しているのだろう。痛風の前駆的症状である。

昨年の健康診断では尿酸値は8.5mg/dl。基準値よりも1.5mg/dl多い。その前の健診では9.4mg/dlだったから、慢性的に高い数値で推移している。思い返してみると、去年、左足の親指の母指球が1週間以上痛かった(特に夜勤明けに痛むことが多かった)。歩くのにも難儀するので、骨折か、と思ったが、近所の整形外科を受診すると、ただの関節炎で特別な異常は見られなかった。しかし、ドクターに健診の結果を見せると、「尿酸値が高いね。こいつはね、炎症を悪化させるんだよ。火に油を注ぐようなものだ」と話していた。

今年に入ってから、左足の母指球が腫れることはほとんどないが(それでも違和感を感じることはたまにある)、指の関節に発生する赤いボツボツはやはり気になるものである。今年の健康診断を9月に控えている。依然、尿酸値が高かったら、内科を受診して医師と相談したい。血液中の飽和した尿酸は関節だけでなく、腎臓にも蓄積、結晶化し、腎不全を招く。いま勤めている老人ホームでは、仕事柄、透析治療を受けている患者が多い。腎臓を痛めた人間の末路がだいたいどういうものか知っているので、私は今から腎を冷やしている。職場のナースに相談すると、「薬を飲んで、早めに手を打っちゃいなさいよ。もう若くないんだからさ」と言った。悩んでいる暇があれば、早めに病院に行くことだ。

躁鬱

2017年の夏、私は当時付き合っていた情婦に「あなたは病気です。精神科に行ってください」と言われた。それより以前に、私は自ら進んで精神科を受診したことがあったが、薬をコンスタントに飲み続けるのが嫌だったので(酒を飲み続けたかったので)、精神科から足を遠のいていたが、私はここに来てようやく、自身を躁鬱病患者として認めることになった。それは治療薬として抗精神病薬を受け入れることを意味した。

いま飲んでいる抗精神病薬 ジプレキサ(オランザピン)は鎮静作用が強いので、病気の急性期は有効かもしれないが、病相が安定、寛解してくると、過鎮静に傾く嫌いがある。本来、ヒトとして生きるために必要な、動物的な情熱を鎮静化させてしまうのではないか、と危惧しているのだ。いま手持ちのジプレキサを飲み切ったあと、主治医と相談して、同じく抗精神病薬エビリファイ(アリピプラゾール)に切り替えてみたい。ちなみに抗精神病薬を飲んでいると、自分の生活世界で何か出来事が起こっても、別段、嬉しくも悲しくも思わなくなってくる。このために周囲の人々から落ち着いている、あるいは老成していると見られるが、ただ感動していない丈である。気持ちの浮き沈みを免れているが、これはこれで寂しい。永井荷風はこの心境を次のように語っている。「これから先わたしの身にはもうさして面白いこともない代りまたさして悲しい事も起こるまい。秋の日のどんよりと曇って風もなく雨にもならず暮れて行くようにわたしの一生は終わっていくのであろう1

アル中

不眠と躁鬱が悪化した27歳くらいの頃から、私はほぼ毎日(毎晩ではない。渇けば、朝でも昼でも飲む。酒飲みは時間に頓着しないのだ。とはいえ、私は寝しなに飲む酒、所謂、寝酒が多い)酒を飲んできた。しかも、今の職業、介護に手を染めてから、私の酒量はとみに増えた。ストレスの多い、不規則な労働環境がこれを増長しているように思える。

しかし、近頃、酒を飲む量が減った。以前は読書をするにも傍らに酒瓶を置いていたが、今は急須の茶を飲んでいる。時節柄、酒を飲む機会が減ったこともあるが、酒を漫然と、しかも大量に飲み続けていると、不眠、躁鬱、痛風、下痢など、さまざまな身体/精神症状に襲われることを身をもって知ったのだろう。青年の頃は粋がってウイスキーをストレートで飲んでいたけれども、この頃はトワイスアップで、適当に水を加えて、自身の健康と相談しながら恐る恐る飲んでいる。私は用心深くなった。それが中年というものであろう。


  1. 永井荷風『雨瀟瀟』岩波文庫、1987年、108頁。

再開

短歌を書きたい気持ちがムラムラ起こってきたので、昔、同人誌に発表して思い入れのある、みずから暗誦できる歌を手がかりに、作歌を再開することにした。以下、3首を抜粋する。

春風が街を吹き行く日の午後はおさなが道にうつむいて泣く

炭酸の泡がしゅわしゅわしていると童女のような感想を持つ

正午まで留守にしている席あれば福島銘菓ままどおる置く

新聞、雑誌、そして、このブログにも定期的に投稿して、普段の生活のささやかな気づき、葛藤、感興、違和……を、五七五七七の定型詩——短歌に昇華していきたい。近頃の世間の風潮として、大きな感動、大きな演出、大言壮語が尊ばれている。しかし、小さな感動には、身の丈に合った、小さな形式が必要なのである。そして、それは大きな感動に比して、少しも価値が劣るものではない。平凡でありながら、美妙、貴重であるのだ。

独立と交際

個人の立志と国家の立国が同時に存在した——。ある思想史家は明治という時代をそのように評した。福沢諭吉は「日本には政府ありて国民ネーションなし1」と、喝破したが、彼もこのような問題意識に貫かれていた。明治維新によって、天皇を君主として戴いた薩長土肥藩閥政府を組織したが、そのままでは専制政治に過ぎなかった。権力に正統性を与えるためには、天皇の意志だけではなく、国民の承認が必要だった。しかし、先に引いた福沢の言葉のように、日本にはまだ国民は存在していなかった。そのため政府は教育と徴兵によって、強制的に上から国民を創造したのに対し、福沢は同じ教育でも自発的に下から国民を創造しようとした。『文明論之概略』はその方法について論じた政治理論ないし教育理論の書として読むことができる。

昔、封建の時に、大名の家来、江戸の藩邸に住居する者と国邑にある者と、その議論常に齟齬して、同藩の家中殆ど讐敵の如くなりしことあり。これまた人の真面目を顕わさざりし一例なり。これらの弊害は、固より人の智見の進むに従て自から除くべきものとはいえども、これを除くのにもっとも有力なるものは人と人の交際なり。その交際は、あるいは商売にてもまたは学問にても、甚しきは遊芸、酒宴、あるいは公事、訴訟、喧嘩、戦争にても、ただ人と人と相接してその心に思う所を言行に発露するの機会となる者あれば、大に双方の人情を和わらげ、いわゆる両眼を開て他の所長を見るを得べし2

本書を通読して分かることは、人間の蒙を開く手段として、福沢は人間同士の交際を重視していたということである。学問はそれによって益々発展し、慶應義塾の建学はその実践と見ることができる。

元来人類は相交るを以てその性とす。独歩孤立するときはその才智発生するに由なし。家族相集るもいまだ人間の交際を尽すに足らず。世間相交り人民相触れ、その交際いよいよ広くその法いよいよ整うに従て、人情いよいよ和し智識いよいよ開くべし。文明とは英語にてシウィリゼイションという。即ち羅甸語のシウィタスより来りしものにて、国という義なり。故に文明とは、人間交際の次第に改りて良き方に赴く有様を形容したる語にて、野蛮無法の独立に反し、一国の体裁を成すという義なり3

福沢が見るに、文明の進歩の秘訣は交際にある。それは家族ないし一族に留まるあいだは交際と呼ぶに値しない。広く世間に出て、人々と交わらなければならない。ここで肝心なのは、文明とは個人の智徳(智識と道徳)であると同時に、その範疇を超えて、国家の智徳であるということである。ゆえに個人と個人の自由な交際は、国家と国家の自由な交際を促し、個人の独立は国家の独立を促すことになる。立志と立国は相関関係にある。やはり、『文明論之概略』は極めて明治時代の書物なのだ。

本書の第9章「日本文明の由来」の中で、福沢は封建時代の交際における権力偏重を厳しく批判している。人間と人間、あるいは国家と国家の交際において、平等あるいは対等であることを理想としていた。その意味で、彼は自由主義者リベラリストだった4。また福沢は言う。「そもそも文明の自由は他の自由を費して買うべきものにあらず。諸の権義を許し、諸の利益を得せしめ、諸の意見を容れ、諸の力を逞うせしめ、彼我平均の間に存するのみ5」滅私奉公、あるいは自己犠牲を認めない。その意味で現代の「安心安全」を確保するために個人の私権を制限しようとする議論(動き)に対して、強力な批判理論になる可能性がある。その意味で、本書の主題は明治時代を超えた、普遍的な書物である。幕末、明治の時代を生きた武士はこんなにラディカルなことを考えていた。本書の文語体に敬遠しないで(読み慣れると、その端性なリズムに快感を覚える)、今の若者に是非、読んでもらいたい。

自由の気風はただ多事争論の間にありて存するものと知るべし6


  1. 福沢諭吉(松沢弘陽/校注)『文明論之概略岩波書店岩波文庫)、1995年、220-221頁。

  2. 前掲書、21頁。

  3. 前掲書、57頁。

  4. 慶應義塾の学生と教授が互いに「~君」と呼ぶ習慣は、この理想の現れかもしれない。

  5. 前掲書、208頁。

  6. 前掲書、37頁。

若き革命家の肖像

私はガンダムが好きである。


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初めてTVで見たのは『機動戦士Vガンダム』で、主人公が乗るガンダムも含めて、モビルスーツと呼ばれる人型兵器が容赦なく次々破壊されていく描写に衝撃を受けた。それまでのロボットアニメは、主人公機は基本的に無敵で、敵の弾をもろともせず、無傷で勝利するものだが、一方のガンダムは脆弱に作られている。最終話ではそれも大破するから、結果的に誰が勝利したのか分からなくなる。特に『Vガンダム』では、戦闘中に主人公のウッソ・エヴィンも含めて、ほとんどのキャラクターが発狂するので、当時、小学校1年生だった私に、人間の強さ、脆さを教えてくれた。この作品を見て以来、私の脳裏に、富野由悠季の名前が刻まれた。

先日、亀有アリオの映画館で、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を見に行った。


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富野由悠季の小説を、村瀬修功監督が映画化した同作は評判がいいらしい。私が見た映画館も座席の7割5分が埋まっていた。なかには子連れの夫婦も居たから、結構根強い、コアなファンがいるのだろう。

一見した感想では、小説の世界を、映画は忠実に再現していると思った。モビルスーツが重力に抗って飛翔するシーンや、真夜中に空襲され、逃げ惑う人々を描くのは、富野由悠季お家芸とも言うべきものだ。ただし、男女の機微に関しては、村瀬修功の作風がかなり反映されていると思った。この点は富野の方が、もっとドライに、突き放すように描いている。

主人公のハサウェイ・ノアは地球の植物監察官という表の顔を顔を持ちながら、同時に、反地球連邦組織の指導者 マフティー・ナビーユ・エリンという裏の顔を持つ。旅客機の中で、彼と際会した少女 ギギ・アンダルシアは彼の正体を一瞬で見抜き、同時に知己になった地球連邦軍大佐 ケネス・スレッグは、マフティー掃討作戦を展開しながら、徐々に彼の正体を追い詰めていく。この筋書きが単純に敵味方がドンパチするロボットアニメではなくて、スパイ映画のような感興を与える。

マフティー(これは指導者であると同時に組織の名前である)は政府の要人を暗殺するテロ組織である。しかし、それでも陰惨にならずに、そこに集う面々が若々しく、清々しいのは、アニメという虚構フィクションが作る功徳だろう。私は富野由悠季の世界のこの側面に強く惹かれ、教えられてきたし、村瀬修功はこれを正しく理解し、継承してくれた。不条理な世界に生きて行く若者の背中をそっと後押しする。コロナ禍でこのような作品を見れたことを幸運に思う。