キャリア意識の形成

私が前の職場から今の職場に、すなわち、特別養護老人ホームから有料老人ホームへの異動が決まった際、同僚の石黒さんは社員食堂で白米を頬張りつつ言った。「もう(介護は)、兼子さんのキャリアになっているじゃないですか」

「キャリア」この言葉が他人から私に投げかけられたのは意外だった。母校の大学の就職課は「キャリア・センター」と呼んでいたが、その名称に対して、学生時代の私は違和感を覚えていた。また、その部署が後援する「キャリア意識の形成」という授業があったが、この講義も至極退屈だった。そもそも、当時の私は政治学を学んでいたにも関わらず、そして、その学問をアリストテレスが、経験の学、実践の学、と定義していたにも関わらず、私は実践知を軽んじていた。軽蔑していたと言ってもいい。私の関心は専ら理論的認識に向けられていた。その性向は今も変わらない。時折、講義に企業家、実業家、活動家、ビジネスマン……が招かれることがあるが、彼らの話は思想的に一貫性がなく、しかも、話すべき種が少ないようだった。現場の経験に密着し過ぎるとつまらない大人になる。その証左のように見えた。

脇道に逸れた。私は今、介護・福祉業界で働いているが、目先の仕事のつまらなさに絶望しないで、この経歴キャリアを大切に育てていこうと思う。それは今所属している会社を一生勤め上げることを意味しない。自分の意志と選択で、自発的に自己陶冶をすることが求められる。例えば、私の場合、新卒で就職したのが、新聞屋、出版社であり、そこでの楽しい思い出が忘れられないので、文筆業、出版業で活路を見いだしたい。また、私はグルメではないが(空腹は嫌だが、粗食は耐えられる)、酒は好きなので、飲食業にも挑戦したい。近頃、巷では「パラレル・キャリア1」という言葉が流行っているらしいが、複数のキャリアを同時に育てることも視野に入れていた方がいい。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは『経済発展の理論』において、企業家は異なる事業を組み合わせることで、革新イノベーションをもたらすと看破した。文筆と福祉、そして、飲食を組み合わせることで、私は世間に対して、何かを訴求することはできないだろうか?


  1. 製造業中心の高度経済成長時代の終身雇用制は中小企業の下層労働者の場合完全に崩壊したのだから、企業が労働者に副業、兼業を勧めるのは悪いことではないが(むしろ、副業、兼業を余儀なくされていると言うべきか)、この言葉は広告代理店の、ホワイトカラーの手垢にまみれているようで、口にするだけでも胸糞が悪くなる。しかし、それでも使わざるをえないのは、彼らのイデオロギーがある程度、現実と合致しているのだろう。