情報活動

勤務先の職場でホール業務をしていると、普段、何かと気にかけてくださる看護師の方が、新聞記事の切り抜きスクラップを手渡してくれた。

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「介護ライターって、あなたのことじゃないの。兼子くんも早く立派になって、こういう所に書けるといいわね」

6月8日付の『朝日新聞』の記事。約1ヶ月前の記事をどのようにして発掘してくれたのか疑問に思ったが、私が山谷に通い始めたのは5月25日。もしかすると、その頃から意識して新聞、雑誌などの媒体に目を通されていたのかもしれない。——おそらく、私以上に。「本当に気にかけてくれていたんだ」と思うと、人一倍、孤独を感じやすい私は感謝の念に堪えられなかった1

ルポを書く。短歌を書く。政治学を研究する。何らかの活動をしていると、本人が予期せぬ以上に、あるいは本人の実力と努力を遥かに越えて、情報が集まることがある。それは一瞬、偶然のように見えるが、のちに冷静になって考えると、実は必然の糸で結び付けられているのかもしれない。人は真理を手繰り寄せるのだ。

人間は本質的に孤独である。けれども、孤独は活動の契機であり、活動は孤独を保ちつつ、それを超えるのである。深夜、煙草をふかしながら、一片の切り抜きスクラップを片手に、そんなことを考えていた。


  1. これは私の弱さであると同時に強さでもあるのだろう。

ルビぞ愛しき

辻邦生という小説家がいる。私はこの人から文体について多くのことを学んだ。特に彼のルビ遊びはおそらく文学史上類を見ないものである。『西行花伝』では、森羅万象いきとしいけるもの実在感たしかさのように読者に読ませる。かなしさ、という読み方も、私は彼から学んだ。この「かなしみ」について、詩人、批評家の若松英輔は次のように指摘している。

かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく、「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。悲しみにはいつも、いつくしむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っているというのである1

若松英輔に及ぶべくもないが、それでも私は彼と多くの資質を共有している。キリスト者であり、批評家であり、詩人であるということである。悲哀、挫折、敗北のような一見、負の感情、負の出来事にも、積極的な意義を見出す所も似ている。評論を書く際の文章、詩句の引用の仕方まで似ている。昔なじみの友人に邂逅した時のような、親しく、優しい気持になるのだが、それがかえって重苦しくなる時があるので、遠ざけたくなることもある。しかし、彼の直線的ではない、ある意味早熟ではない文筆家としての履歴も私の励みになるだろう。「病がなければ、こうして言葉をつむぐ仕事に就くこともなかっただろう2」。私は半年前、社会福祉法人の正社員の椅子から降りた。要するに出世コースから外れた訳だが、次の言葉にも頷くしかなかった。

12年間の会社勤めで、もっとも重要な出来事は降格である。昇格ではなかった。大切なものの多くは、降格を機に経験した3

私達の好きはリルケは歌った。「落ち降るさちがあるのを知る時に」。


  1. 若松英輔『悲しみの秘義』(文春文庫、2019年)13頁。

  2. 同上、76頁。

  3. 同上、113頁。

地獄の一丁目を歩く

「俳句を詠むためには地獄を通過しなければならない」誰かが語った言葉だが、俳句を素人としてではなく、玄人として極めようとすると、その先には魔道が潜んでいるらしい。この感覚は私のようなアマチュアの権化のように見られている人間でもそこはかとなく分かる。私は松尾芭蕉には暗いが、晩年の飯田龍太は修羅の形相をしていた。地獄を見据えているようであった。そのためにその御作が共通感覚コモンセンスから逸れることがしばしばあった。俳句を真剣に取り組んだ人にしか分からない、痛ましい生き様だった。

俳句に限らず、短歌、小説で凄い作品を書く人は、一見、非の打ちどころのない紳士、淑女である場合が多い。この人がこんな凄い作品を書くのか。たとえば、北杜夫が倉橋由美子に抱いた感想がそうだった。すべての作家が鷹の眼をしているとは限らない。しかし、その内面生活は窺い知れないのだ。

「小説家は血を流していますよ」私が昔勤めていた出版社の社長は折に触れて言った。「詩と小説は革命が起きるでしょう。俳句と短歌にそれが出来るかね?」彼は短詩形文学の可能性には懐疑的だったようだが(それを生業にしたために、いささか食傷気味になってしまったのかもしれない)、社長の金で酒を飲み、焼鳥を食らう、まだ世間と人生の深奥を知らない26歳の私は戦慄したものだった。血を吐くような思いをしなければ、瑕ものにならなければ文学はできないのか。

海の傷もたぬものなし桜貝1

あれから10年が経つ。小説はまだ書けないけれど、当時に比べれば、韻文、散文は書けるようになった。自分の文体スタイルも会得しつつある。トーマス・マンの小説『ファウストス博士』の主人公、作曲家 アドリアン・レーヴァーキュンは言った。「熱くもなく、冷たくもないことは唾棄すべきことだ。僕は生ぬるい人間にはなりたくない2」その草稿を読んだ或る作家は「この男は地獄を見るな」という感想を抱いた。私はどうだろう。ようやく短歌を書けるようになった。しかし、小説はまだ書けないではないか。「社長、私は血を流していますか?」


  1. 檜紀代の作。

  2. 『ヨハネの黙示録』のオマージュである。

自転車野郎

TREK FX1

休日、自転車のタイヤに空気を入れ、フレームを磨き、ギアに油を差し、サドルの高さを調整した。この車種はTREK FX1というやつで、私が小岩に引っ越してきた頃に購入したから、かれこれ6年くらい乗っているけれども、修理に継ぐ修理を施して、今でも現役で駆動している。今まで経験した一番大きな事故は、地面から突き出しているポールに激突し、一時、廃車寸前まで追い込まれたけれど、近所に自転車に対する技術と愛情は他の追従を許さない自転車屋 THANKS CYCLE LABのお世話になっているので、事なきを得ている。

思えば、私は首都圏に生まれた人なので、小学生から大学院生に至るまで一貫して自転車に乗り続けてきた。地方に住んでいる人は自転車を卒業して、自動車に乗り換えることは大人になることの証左なのかもしれないが、私にはその観念はまったくない。幸か不幸か、偶然か必然か、私は今まで自動車の要らない都市まちに住み続けてきた。土地ではない、都市である。移動は徒歩、自転車、電車などの公共交通機関が基本である。遠出する際はせいぜい原付があれば事足りてきた。都市は自然の脅威を知らない人工的な世界である。東京は私の故郷ホームタウンである。私が東京を呪詛しつつも、そこに住み続けている理由はここにある。私は今後他県に住むにしても、都市部の駅に近い所でなければ生きていけないだろう。私は郊外に生まれた人間であるが、遂にシティー・ボーイとして自己を形成した。

煎じ詰めて言えば、私は友達とお喋りしながら歩いたり、気ままに(無責任に)自転車を乗り回すことが好きなのだ。私は1年半、千葉県松戸市に勤務していたが、そこは予想以上に自動車社会だった。私の出る幕はなかった。それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも私の活動する余地はなかった。

人は行くべき所に行き、住むべき所に住む。土地が、あるいは都市が、その人の性格を形成するのは、あながち間違った説ではない。

和食と洋酒

大人、あるいは中年、と言うべきだろうか。ともかくその年代になってから、食は和食、酒は洋酒と好みが決まるようになった。洋酒が好きなのはハイカラ趣味などではなく(もちろん、その要素も否定できないが)、洋酒は酒徒のすべての需要をカバーできる所に理由がある。お腹がすいた時、栄養を摂りたい時はビールを飲むし、ビタミン、ポリフェノールなどの抗酸化物質を摂りたい時はワインを飲む。そして、不安と恐怖を鎮めて眠りに就きたい時はジンないしウィスキーをストレートで飲む。アルコールの種類と効能でいえば、洋酒の右に出るものはない。イギリス、大英帝国は料理にあまり手間暇を掛けなかったけれど(その代わりフィッシュ・アンド・チップスなど簡便なスナックが美味しく楽しい)、酒については探求を惜しむことがなかった。複数のボタニカルを調合した薬酒 ジンと、樽の中で何年、何十年と寝かせた古酒 ウイスキーは英国の偉大なる発明である。

私は洋酒を賛美して止むことを知らないが、食は和食を好む。しかも、蕎麦、麦とろ飯、醤油拉麺(支那蕎麦と書くと怒られるのだろうか)など、あっさりした、濃い味付けのものを好む。完全に酒飲み御用達の食事である。味が濃い方が好みなのは、肉体労働に従事しているせいであるが、アルコールで失った塩分を補うためでもある。小説の神様 志賀直哉は関西に比べて、関東の濃い味付けは「活動する人」の味と言った。よく食べ、よく飲み、よく働く。私もそんな人になりたい。

と、そんなことを、夏バテに苦しんで、食欲の湧かない夜に思ったのでした。

ねごとリバイバル


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ねごと、という女性4人組のバンドがある。あった、と言うべきかもしれないが、2019年に解散してしまった後も、私の中で現在進行形の輝きを放っている。

私の手もとにある盤は、「sharp #」と「空も飛べるはず/ALL RIGHT」。いずれもシングルである。私は普段、気に入ったバンドがあれば、入門用としてベスト盤を買ってしまうのだが、ねごとはカップリングの曲に秀歌が多いので、あえてシングルを買い求めた次第である。スピッツのカバーを含む「空も飛べるはず/ALL RIGHT」は次回にまわすとして、今回は「sharp #」を紹介したい1

「sharp #」は『ガンダムAGE』の第2期OPとして知ったのだが、さすが、ねごとである。アニメの主題歌として、その世界観をきちんと踏襲しつつも、独立した一曲の歌曲として仕上がっている。

愛じゃない 触れない
ただ儚い願いでした
きみだけ それだけ
見つめていた光でした

『ガンダムAGE』第2期は、家系の血筋に反して、パイロットの適性がないと機械的に判断された主人公 アセムが、幾多の戦いをへて、スーパーパイロットに覚醒していく物語である。少年の成長譚は、歌詞の以下の一節に刻まれている。

いま運命をはみ出して
ストロボの時がきみをさらう前にさ
もっと速く駆け抜けてゆく
あの星になりたい

「sharp #」の歌詞の冒頭は「愛じゃない」で始まる。しかし、この歌の結末は、まるで精巧なエンタメ小説のようにどんでんがえしで結ばれるのである。

足跡なくして行け
ありきたりでもいいよ
正体は愛でいよう

態度や口吻は淡白ドライ虚無ニヒルを気取っても、私の本質はかのようにありたい。

sharp ♯

sharp ♯

  • アーティスト:ねごと
  • Ki/oon Sony キューン ソニー
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  1. はてなブログにおける歌詞の引用は、株式会社はてながJASRACと利用許諾契約を締結しているので問題ありません。

市民社会と下層社会

今日は施設、老人ホームの勤務は休み。その代わり、訪問介護に2件行ってきた。いずれも買物代行である。

あまり仕事の愚痴は言いたくないし、もともとその柄ではないけれど、介護福祉士の有資格者を買物代行などの生活援助の業務に当てるのはいかがなものかと思う。もっとハッキリ言ってしまうと、三十代の働き盛りの男性介護福祉士を、掃除、買物など、介護の腕の覚えがない、主婦でもできるような家事労働に従事させるのは、その事業所の見識が疑われるのではないだろうか。7月に資格取得の祝金を支給されるし、社員の方々に対する義理もあるので、もう少し頑張りたいが、正直、今年いっぱいまで勤め上げるのは難しいと思う。

閑話休題それはさておき。訪問介護、とくに買物代行などを引き受けていると、時々、UberEatsのあんちゃんになった気分だ、と自嘲する瞬間がある。UberEatsのような運送業はスマホひとつで、仕事を発注/受注できるので、安心、清潔、効率的で、時代の先端を行っているように見えるが、じつはこのような零細な賃仕事は、戦前、明治の頃から存在していたのだ。

横山源之助『日本の下層社会』。これを読むと、昔から運送業は伝統的に、細民、零民、貧民に担われていたことが分かる。私は昔(この記憶も遠くなりけり)、文芸関係の出版社に編集者として努めていた頃があったが、そこで、庶務/経理を担当していたおばちゃんが、職業に貴賤はないと言いながら、毎日、配達/集荷に来る宅急便の営業の方に辛く当たっていた。「あなたもいずれ分かると思うけど、こういう職業の人には強く言わないと駄目なのよ」結局、そのおばちゃんは私と喧嘩して、辞めてしまったので、その言が正しかったのかは杳として分からない。しかし、ひとつだけ確実に言えることは、勝ったのは私だ。

私は大学生の頃は政治学を勉強していて、そこではいわゆる市民派と呼ばれる学派に身を置いていた。市民派とは、革命ないし改革の主体は政府ではなく市民であり、彼らが構成する市民社会こそがその場所であるということだ。私は市民派であると言えるし、そうでないとも言える。いずれにせよ、私は今でもこの政治学を勉強しているし、この学問に執着している理由は、その点の矛盾にありそうだ。私は大学出たてのホヤホヤの頃は生粋の市民派であった。否、それは正しくない。東日本大震災の年に卒業した私は東京の人間の傲慢さに気づいていた。市民論、市民社会論は東京都民を模範にして作られているから、階級意識に敏感な私は、その認識の存在拘束性に気づかないはずがない。

結論を言うと、私は市民社会から下層社会に没落した。先に訪問介護とUberEatsの例を上げたように、現代の世間は、兎角なんでもスマートに見せているけれども、その実態は、明治時代の細民、零民、貧民の暮らしの本質と変わらないのである。確かに高度経済成長を経て、生産力は上がった。モノは豊かになった。しかし、日本の下層社会は今なお存在するのである。私は精神疾患と飲酒癖があるので、人生の歯車が狂えば、いつでもドヤの住人になってもおかしくないのである。最後に明治時代の工場労働の報告を引いて終わる。

世話役もしくは助役は職工より出づるを以て、常に職工の状況を審かにし、職工の代弁者となりて工場長に時々の便宜を訴うべきはずなるに、実際はしからずして、かえりて工場長の意を迎うるに力めて職工の事情伝えざるは多きが如し1

現代の施設に勤むる介護労働者の実態に一脈通ずる所ありなん。


  1. 横山源之助『日本の下層社会』(岩波書店、岩波文庫、1985年)271頁。