東京の中を歩く

先週、思うところがあって、東京の中を散歩した。なかという言葉は、東京のタクシー運転手の俗語で、中央区千代田区、港区のことを指す。一番、タクシーの乗降率が高い、商売上、重要な地域なのだろう。そこが新宿区ではない所がおもしろい(数年前、葛飾区に移住するまで、私は東京の中心は新宿区だと思っていた)。

JR有楽町駅で降りると、そのまま日比谷公園に向かう。私はこの公園が好きで、上野恩賜公園葛西臨海公園と並んで、東京の名園の三本の指に入る。案の定、中秋を過ぎて、銀杏の黄葉が見事であった。人々に踏まれた種子は濃厚な芳香を立てていた。

私は東京の街路樹は二種類に分かれると見ている。一つ目は欅である。こちらは主に多摩地方など、丘陵地帯に分布している。JR阿佐ヶ谷駅のホームから見える欅並木の紅葉は絶景である。この地方の寒冷で、澄んだ空気は、心と体を清潔にしてくれるのだ。私は数年前、狭山丘陵に住んでいたが、秋になると、無性にそこに戻りたい、という気持ちになる。狭山の秋の夜長には珈琲がふさわしい(ただし〆はウイスキーだ)。次に二つ目の銀杏だが、こちらは東京の山の手から沿岸部まで、いわゆる江戸の地域に分布している(東京大学の校章が象徴的である)。ゆえに銀杏は欅に比べると、「街の樹」という印象である。散歩中、通勤中に、靴の踵で銀杏の種を踏むと、季節の移り変わりとともに、私は都会に住んでいると実感する。

日比谷公園を出て、新橋に向かって歩く。

「サラリーマンの聖地」と言われるだけあって、背広、ワイシャツ姿の男性が目立つ。昔、会社の先輩に奢ってもらったラーメン屋や、同僚と飲み明かした居酒屋はコロナ禍でも健在だった。

私は感傷的になっているのだろうか。

ラーメン屋で食事を済ませると、次は銀座に向かって歩く。

レストラン、カフェ、バー、ブティックの数に圧倒される。商店の軒先には「おかえりなさい、銀座」という垂れ幕がかかっていた。銀座を歩くのは3年ぶりくらいだろうか。その煌びやかさ、華やかさに圧倒される。コリドー街の歩道は予想以上に混んでいたので、マスクを装着する。カフェで一服したあと、バーでイッパイやった。

したたかに酔ったあと、再び、日比谷公園を訪れた。池を眺めながら、ゆっくり煙草をふかした。夜の公園を散歩していると、日比谷の裏は霞ヶ関であることに気づいた。その瞬間、私はここが東京の中であることを理解した。そして、数多あまたの酒場、新聞社、出版社が肩を寄せるように蝟集している訳も理解した。「私はここに戻ってくる」という決意を新たにして、その場をあとにした。