私が吉行淳之介の名を知ったのは、NHKの連続テレビ小説『あぐり』がきっかけである。ドラマの登場人物は〈吉行〉ではなく〈望月〉とされ、あくまでもフィクションであることが強調されているけれど、原作は吉行あぐりの自伝『
放送当時、私は小学6年生。野村萬斎が扮するエイスケさんのコミカルで奇矯な振る舞いを、毎回、楽しみに見ていた。私の人格形成に少なからぬ影響を与えたと言っていい。それは今見ても胸に来るものがある。父 エイスケと、子 淳之介の問答の場面。
「パパ、今日、安吉くんが来たんだ。これから新潟に行くって」
「そうか」 「その前にパパに訊きたいことがあるって」 「訊きたいことって?」 「僕たちが大人になる時代のことだけど、その頃は人間の手なんか使わないで、機械が寺や神社を作るようになるんじゃないかって。そのとき、宮大工はどうなるの? いなくなるの?」 「いなくならないよ」 「本当!?」 「淳、どんなに世の中が便利になっても、人間にしかできないことが必ずあるんだ。どんなに優れた機械でも、人間の前には勝てない。人間はそれくらい素晴らしいんだ。そう、安吉くんに伝えてくれ」 「分かった。手紙に書くよ」
今のAIなどをもてはやす世相を一蹴する答えである。AI、すなわち、人工知能などはコンピューターを発明した頃からずっと研究してきたテーマであり、今更、新しがる、有難がることではないだろう。むしろ、私たちはそれを開発、運用しつつも、それで代替することができない、人間の仕事とは何か。人間の本質とは何か。この古くて新しい問題を追究するべきだろう。
父 エイスケ(小説家)、母 あぐり(美容師)、長男 淳之介(小説家)、長女 和子(女優)、次女 理恵(詩人、小説家)。吉行家は芸術家一族である。
村松友視『淳之介流』を読了。現在、活躍中の文士の中で、私が尊敬しているのは、村松友視と嵐山光三郎の両氏であり、小説はもとより、評伝にも健筆を揮われている。私が理想、模範としている仕事のスタイルである。
本書の初版は2007年。当時は日本でナショナリズムが席巻した時期であり、白洲次郎などのアメリカ(マッカーサー)に対して、歯に衣着せぬ物言いをする、強くて、分かりやすい男性像がもてはやされた。本書のプランは吉行淳之介が逝去した頃から静かに進められたらしいが、作者が時代の空気に堪りかねて、ようやく実現した運びである。村松友視によれば、吉行淳之介は「ぐにゃぐにゃ根性」の持主だそうだ。一見、暖簾に袖押しの体でも、自分の要求を押し通す術をわきまえていたのだろう。戦時中、文弱と蔑された文士のしたたかな生き方がそこにある。病気、貧乏、恋愛——文士の三重苦と宇野浩二は言ったが、それによって文士は鍛えられるのだ。
本書の執筆、刊行は、村松友視が吉行淳之介と交わした「やわらかい約束」だったのだろう。それが「かたい約束」に変わるとき、私たちは人間の本質を垣間見るのだ。
作家と編集者は、五分と五分、書くプロと書かせるプロだ……これは吉行淳之介の言葉だが、私も編集者としてはその自負をもっていた。しかし、会社をやめて同じ作家の端くれになってみれば、吉行淳之介はもちろん雲の上にかすむ存在である。編集者当時の仕事の電話のように、気軽に電話に向かうことなどできるものではない……私は、初めて吉行邸をおとずれて門の内の吉行淳之介の肌合いを模索していたときのような緊張感につつまれた。
ある意味、それは懐かしい感覚だったが、このまま没交渉になるのも寂しい気分があった。それが小さい悩みとなって生じたのだが、しだいにふくらんで飽和状態となり、その風船がはじけとぶ寸前になった。そのとき、卓上の電話が鳴り耳にあてると、
「ヨシユキだけどね、会社やめても電話かけてきていいんだぜ」 なつかしい野太い声がしてから、例のフッフッフといういたずらっぽい笑い声がひびいた。すべてお見通しか……やっぱり、八丁堀のダンナはレベルがちがう、これじゃあ女にも男にも、もてる はずだと感服した1。
私も何人かの人と「やわらかい約束」を交わしているから、この感覚は痛いほど分かるのだ。