言葉の抽斗

中村真一郎は作家になりたいと公言したとき、彼の叔父は次のように助言した。「君が作家になりたければ、机の抽斗ひきだしいっぱいに原稿を書き溜めなければならない」

また、ある先輩作家は次のように話した。「君が作家デビューを果たす頃には、ミカン箱一個分の原稿の束がなければ駄目だぜ。そうじゃないと大量の注文に追いつかないからな」

ブログを毎日更新していると、それなりに或る工夫が必要になってくる。要するに若き作家と同じように、原稿を書き溜めなければならなくなる。律儀に毎日、日記のように書いていると、忙しい生活に追いつかなくなる。文筆外の人生の不測の事態に対応できないのである。災害のために食糧を備蓄しておく、というよりは、経済におけるキャッシュフローのようなイメージである。つまり、初めからある程度の余裕がなければならないのである。

私のブログはぜんぜん稼げないし(読者諸氏はすでにお察しのように、私はこのメディアで稼ぐことをすでに放棄している)、毎日更新を続けたとしても、いきおい文名が上がる訳でもない。

しかし、広告塔として、あるいは文章修業の場としては、はなはだ有用であり、私の筆力が向上するにつれて、読者が増えていることを、大変嬉しい心持で眺めている。これで収入が伴えば……と、忸怩たる思いはあるが、ブログは同人誌ないし個人誌のようなものだと覚悟しているので、この辺の事情は今はあまり気にしないようにしている。生産高が増えれば、おのずと解消される問題である。初めにことばありき。金は後に付いて来るべし。

2017年の冬、知己にしていた編集者は私に言った。「作家になりたければ、ブログを書け」そして、出版を離れて、介護に転身する私に次のようなはなむけの言葉を贈った。「それが、君のやりたい本当のことなんですか?」彼の助言はことごとく当たっていた訳だ。