社会の再生

18時に布団に入り、21時に布団から出る。仮眠としては少し寝すぎたくらいだ。近所の自動販売機でMONSTERを買い、ぐびりと一杯やる。昨今、エナジードリンクについてはいろいろと言われているが、起きがけの清涼飲料水はなかなかいいものだ。

昨夜、福音よきしらせがあったので、気持よく酒を嗜んでいたこともあり、なかなか眠れずにいた。しかし、こうして人間同士の紐帯が回復し、孤独な人々の生を支える社会が再生されることを、私は心底喜んでいる。たとえ、それがこの世の仮初の現象だとしても。睡眠時間は2時間。しかし、早番の勤務にも慣れたので、比較的気持よく働くことができた。ただし、帰りの電車で眠気に襲われる。

このようなことを書いていると、まるで、己が社会主義者のように思えてくるが、それは私の片方の本質に適っている。もう片方の本質は個人主義者である。どちらも正しく、時に相補い、時に矛盾を来たすことがある。しかし、キリスト教の課題が個人の自覚と社会の再生であると気づく時、これは己の一生のテーマであると理解することができる。小説ないし評論として表現することはできないだろうか。

本日の休憩室。「兼子さんは夜勤はやらないんですか?」「介護福祉士としての私は、棺桶に片足つっこんでいますから」黒い冗談ユーモア

今、編集の仕事を探しているが、書籍編集者でなければいけるのではないかと目算を踏んでいる。あれは片手間でできる仕事ではない。文筆家志望ないし作家志望だと、仕事と生活が破綻するので、私の就職先からあえて遠ざけている。ただし、雑誌編集者、WEB編集者だったら、両立は可能なのではないか。むしろ、主筆として健筆を揮うくらいの気持でいたい。願わくば、わたくしの仕事と社会の仕事が両立せられんことを。