Empowerment

今年の夏に大学のチャペルでキャンプに行くのだが、そこで私は短歌の講師を務めることになった。講座名はこんな感じにしようと思う。「詩篇と雅歌に学ぶ短歌講座」。

教会の奉仕活動は基本的に無給である。また、私の所属する短歌結社も同人誌制作の膨大な業務を一部外部に委託しているとはいえ、基本的にはボランティアで賄っている。

我が身を振り返ると、30代半ばを過ぎた頃から徐々に経済活動が活発になってきているが、それに比例してボランティアの活動も増えてきたような気がする。私は基本的に人に仕事を依頼する時は代金を払うようにしている。もし、払えない場合はそれを初めに伝えておく。人の働きに対価を支払うように努めているのは、個人事業主をした経験が大きい。フリーランスは金に困ることが多いが、それだけでなく、自分の活動を経済的に評価してくれるのが嬉しいのである。「同情するなら金を呉れ」人の尊厳はそこに懸けられていると思う。

そういう基本的な信条の持主なのに、なぜ奉仕ボランティアを引き受けるのか。答えは簡単である。いい訓練になるからである。普通、有償ではやらせてくれないことを無償でやらせてくれるのだ。自身の労働と引き換えに経験を買っているようなものである。もちろん、ボランティアといっても、仕事なのだから、そこには責任が伴うが、私の働きによって、人が喜ぶ、元気になる過程で、私も同じものを貰っているのだ。学生時代、政治学を学ぶ課程で、エンパワーメント(Empowerment)という概念を学んだ。孤独で、貧しく、打ちひしがれていた人々が、集まり、共に働くことで生きる力を得るのだ。手に職をつけることもできる。もちろん、その成果には対価が支払われるが(金を得る経験は大切である)、このような活動は有償/無償に拘っていてはできないのである。時にはボランティアの手を必要とすることもあるが、彼等は無償の労働と引き換えに、大切な経験を得ているのである。

結論を言おう。有償労働と無償労働は車の両輪のごとき物である。車のエンジンに火が点けば両方加速するのである。その人の活動の質量に比例して、両者は増大していく。こうして人間は成長し、世界に影響を与えるのである。