泥濘を歩く

なにか面白いことはないか?
——石川啄木

毎日、短歌を1首書いている。これは小説が思うように書けないから、多分、その代償に違いないが、それでも構わないと思っている。近頃、内容としても、形式としても、スカスカな散文を書いているので、それを稠密な韻文で補っているのが実情である。しかし、この経験は個人的には正しくて、言葉と其の修辞の効果を精確に吟味するなど、韻文の経験は正しく散文に反映されるのである。散文と韻文、小説と短歌は車の両輪という私の説を信じて書くしかない。小説家にして歌人。それが私の理想である。

話を再び作歌に戻すと、1日1首、短歌を書くのは結構たいへんなことである。1日1個、面白いこと、楽しいことを見つけなければならない。私達の人生は泥濘ぬかるみを歩くようなもので、普通、そんなに面白いことは転がっていない。しかし、歌人ないし俳人、そして文学者は違うのである。彼等は粗金あらがねから宝石を採り出す。地獄の責苦の中に御国の快楽を得る。彼等の仕事(作品)は、そのような力業の賜物なのである。