昨夜、居酒屋でソール・ライターに関する特番を見ていると、不意に悟るところがあった。彼は芸術家という意識が希薄だった。むしろ、職人たろうとしていたのではないか。写真家らしく、虚構を作ろうという意識は皆無だったのではないだろうか。
記者として、写真のごとき小説を書けないだろうか、と夢想する。虚構ではなく、限りなく事実に近い小説である。文学史的にはエミール・ゾラの写実主義、自然主義がそれに当たる。日本の田山花袋も含めていいと思う。ゾラは知らないが、写実主義、自然主義の小説家は新聞記者あがりか、その経験がある人が多いと思われる。最後は私と同じように『聖書』を愛読していた、太宰治のようにロマンに走ってもいいかもしれないが、まずは私小説の伝統に倣おう。日本文学の学び直しが必要だ。
海外ではやはり、記者あがりの小説家、アーネスト・ヘミングウェイや、ピート・ハミルが参考になると思う。私には虚構の才能がないが、どこまでも事実に肉薄した、そういう小説を書きたいと思う。