認識論的誤謬

今週の『シルバー新報』で、認知症の妻を介護した俳人へのインタビューを掲載した。編集長はゲラを読むと、「やっぱり、専門の人が書くと違うわね。まるで『智恵子抄』だわ」と、珍しく褒めてくれた。この仕事に関しては、少しも力まずに大胆な記事を書けたので、自分でも満足している。しかし、その後、別件で腹に据えかねることがあり、サラリーマンなので、ぐっとこらえていたが、その時ふと、文芸編集者に転職してやろうか、という考えが浮かんだ。

しかし、その後、よくよく考え直して、

  1. 文芸編集は過酷

  2. 編集記者の仕事はそれなりに楽しい

  3. そもそも私の最後の職業は小説家しかない

という理由で、この直観は誤謬として退けた。

そもそも私の場合は、編集者よりも小説家になる方が容易だろう。原稿を書くことは大変な作業だが、原稿を待つことも、編むことも大変な我慢を要する。幸か不幸か、私は文芸編集者の忍耐力を併せ持っていないので、最後は小説家になる方がいいと観念した。とまれ、今は介護業界の新聞記者の仕事を楽しみたい。