開かれた世界へ

文学者ライターへの後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、ようやく編集者ジャーナリストとして生きて行く覚悟ができたようだ。といっても、私の場合は与えられた原稿を編むのではなく、むしろ、自ら原稿を書くタイプの編集者であるし、そこに私の存在意義があると思う。文士の名残ではないかと言えばそれまでだが、私には作家の素質が極めて乏しいと見ているので、自身を表すのに言葉を使うことは少ない。ただし、小説は諦めずに書いた方がいい。

今は幸いにしてサラリーマンをやっているが、フリーに転じた時にどのように稼ごうか毎日思案している。自分の仕事(本を書くこと)と並行して、編集・執筆の業務委託を請け負って、糊口を凌ぐのが正しいように思える。飲食の仕事はその次に考えるべきだ。ちなみに今後、私が福祉の仕事に就くことはない。現代において福祉は切実に必要とされているし、これについて語り、書く必要はますます感じるが、実際に私が福祉の現場で働く必要はまったくない。私は4年間、老人ホームで介護をしてきた。その経歴と介護福祉士の資格だけで十分である(取材先で私が介護福祉士であることを告げると、先方が目の色を変えることが多い)。

もう少し詳しく、私が福祉の仕事に就かない理由を述べたい。多額の公費が投入され、医療と隣り合わせのこの業界は恐ろしく堅いのである。手堅く稼げる替わりに、思考と行動の自由が奪われる。そういう実感がある。もっとハッキリ言ってしまえば、クリエイティビティにとってマイナスである。取材に行けば分かることだが、政治と新聞、この二つの業界はマスクを着けている人がほとんどいない。話すこと、書くことに対して、オープンな態度の人が実に多い。編集者ジャーナリストを生業としている私は開かれた世界の住民なのである。