小休止

われわれは悪循環に陥ろうとしている。金がないから何もしないというが、何もしないからこそ金がないのだ1

持病の基本薬を切り替えたことで、一時的に体調を崩したので、今は会社に1ヶ月間くらい業務の負担を軽くしてもらい、静養に努めている。この期間中に薬の量を調整し、徐々に身体を慣らしていくのだ。「静養」と言っても、入院や休職のような大規模なものではなくて、当面の夜勤の中止とシフトの若干の見直しである。働きながら療養するのが、なんだか私のスタイルに合っていて2、仕事を含めた諸々の活動は健康増進に役立つという、私の常識的理解と一致している3

緊急事態宣言が解除されたにもかかわらず、今は外に飲みに行くことはほとんどなく、友達と社交する以外は家に引き籠って読書に専念している。そして、深夜、気まぐれに酒をちびちびやりながら、来年はどんなふうに過ごすか考えている。葛飾の陋巷はまだ木枯らしは吹いていないが、私の意識はすでに年の瀬である。コンピューターの電源を点けて、このブログを含めた公開・非公開の日記を更新していると4、私には多分、Journalistの才能があるのではないか、と思うようになった。「夜討ち朝駆け」はJournalistの一側面に過ぎない5。書斎に腰を据えて、伝記を執筆し、隠れた真実を明らかにすることも、Journalistの立派な仕事である。この狭苦しい世間に6、私に与えられた、限られた才能を働かせる路はないのだろうか? そんなことを一人、不器用に巻いた手巻煙草を一喫しながら考えていた。


  1. ジョン・メイナード・ケインズ

  2. 働きながら勉強するのも、今では私のスタイルである。

  3. もちろん、病気と活動の程度次第。

  4. 友達から、私のブログは「日記」であると言われている。

  5. 私はむしろ、そのような不規則な生活は苦手である。

  6. 反対に、世界は広い。

躁鬱ゲーム

基本薬をオランザピン(先発品:ジプレキサ)からアリピプラゾール(先発品:エビリファイ)に切り替えてから、もうすぐ1週間がたつ。

最初はぜんぜん眠れないし、眠れても夢ばかり見るので、発狂しそうになった。しかも、私は薬の切り替えを夜勤前に敢行したので、副作用の影響をもろに被ることになり、2、3日、ほぼ徹夜の状態で夜勤に臨むことになった。今回は命を削っている感じがした。薬の切り替えはイノチガケである。コロナ・ワクチンの副作用なんて、私には屁みたいなものだったけれども、抗精神病薬の副作用は、私にとって重篤な被害をもたらした。同病者諸君、薬のスイッチングは慎重に。

しかし、アリピプラゾールには思いがけない、嬉しい副作用があった。

覚醒

オランザピンを飲んでいた頃は、鎮静作用が強いので、時間が許せば昼過ぎまで延々と寝ていることが多かったが、アリピプラゾールを飲んだ翌日はだいたい朝の4時くらいに覚醒する。睡眠時間が4時間くらいでもかなり元気だ。一口に抗精神病薬と言っても、鎮静系と覚醒系に分かれている事実を私は身をもって知った。オランザピンの鎮静作用は主にドーパミンD2受容体を阻害することによって生じていると思われるが、アリピプラゾールは明らかに前者に比してドーパミンを遮断しないので覚醒作用が強くなるのだろう。低用量だと抗鬱(躁転)、高容量だと抗躁(鬱転)に働く、不思議な薬である。躁鬱病の治療の肝は、躁と鬱の均衡点を発見することである。それまでにけっこう時間がかかる。アリピプラゾールならば、私の場合6mgで安定すると思う。3mgあるいは12mgで落ち着く人もいるから、人それぞれである。ちなみにオランザピンは私の場合2.5mgでも抗躁(鬱転)作用がつよかったので、私は躁鬱の均衡点を見つけることができなかった(ゲーム理論みたいだ)。興奮、混乱、錯乱していても、眠りと(一時の)平和をもたらしてくれる良い薬だったのだが——。

節酒

この薬を飲むと、酒が飲めなくなる。いや、正確には飲まなくなる。今までワインのボトルを1本空ける。あるいは、ウイスキーをグラスで5、6杯空けていたのが、1杯で十分になる。もう、飲めないのではなく、もう、飲みたくないのだ。この経験は私には衝撃的だった。たぶん、以前よりも酒を美味く感じていないだろう。今でも、朝酒、昼酒、寝酒、月見酒、雪見酒を飲むことにやぶさかではないが、それでも1、2杯で終わりである。後は水を飲んで楽しむ。アルコール依存症になるはずがない。私は今まで酒豪をもって任じてきたが、この頃は酒仙の領域に近づいてきたらしい。

躁になると、ふつう食欲、性欲が亢進するので、それに比して酒量も上がるのではないかと思うが、そんな単純な仕組みではないらしい。そもそも、精神病者が酒を飲む動機は、鬱を晴らし、気持ちを持ち上げるためにあるのだから、薬を使って躁転(抗鬱)さえすれば、そもそも酒を飲む理由がなくなるのだろう。——もはや、アルコールの力を借りて、ドーパミンを放出する必要はない。その点、ドーパミンD2受容体を阻害していたオランザピンは、私に却って酒を飲むことを促していたのかもしれない。




アリピプラゾールの副作用は私にとって、仕事と勉強をするうえで良い影響をもたらした。オランザピンが麻薬だとすれば、アリピプラゾールは覚醒剤だ。戦後、文化人たちがヒロポンやベンゼドリンを好んで飲んでいた理由がよく分かる。中年を過ぎても、いよいよ働ける、稼げる感じがする。この薬には金銭の臭いがする。

病気のキャリア

昨夜もアリピプラゾールを3mg飲んだが眠れなかった。素人のくせにバスケットボール部に入るという変な夢を見たが、これはレム睡眠なので、あまり休息していない。夜食を食べた後、自然な眠気に襲われたが、あのまま薬を飲まずに寝落ちした方が却って熟睡できたかもしれない。

眠れないからといって、この薬は効果なし、と判断するのはまだ早い1。睡眠不足でも、精力的に本を読み、ブログを書いている。やはり、薬を切り替えたことで躁転したのだろう。寝不足なので快調ではないが、オランザピンを飲んでいた頃のつねに眠たくて、無気力な状態に比べると、人が変わったようである。今後、ますます増大してくる人生の苦難に対し、強気の姿勢でいられるのだ。やはり、この薬には抗鬱作用がある。

とりいそぎ、今月は鎮静を目的とするために12mgを服用して様子を見る。そして、月毎に9mg、6mg、3mgと漸減して、自分に合った容量を模索していきたい。昔はこんな人体実験のような服用の仕方は耐えられなかったが、今の私は自分の身体を科学的、客観的に眺めることができるようになったのかもしれない。病人としてのキャリアを積んだのだ。不測の事態に対して、私はタフになった。経験主義がここにも生きている。


  1. とはいえ、私が精神科薬を飲む主な目的は眠るためにあるのだが……。

ありがとう、オランザピン

10月11日をもって、持病の躁鬱病の治療薬をオランザピン(先発品:ジプレキサ)から、アリピプラゾール(先発品:エビリファイ)に切り替えた。

オランザピンを飲み始めたのは、精神科を受診した2017年以来だから、およそ4年間の付き合いになる。最初、1.25mgの単剤で処方されたが、その後、クエチアピン(先発品:セロクエル)を追加するなど、試行錯誤をへて、結局、2.5mgの単剤処方に落ち着いた。精神科を受診した当初、私は躁鬱病不眠症強迫性障害自殺念慮など、一口では説明できない、さまざまな精神症状に苦しめられていたが、この薬を飲みつつ、仕事、勉強、社交を通じて、人生と世間に折り合いをつけることで、傍から見ればまったくの健常者と言えるくらいまで回復した(しかし、一部では変人と見られている)。複雑に錯綜した、あらゆる精神症状に効く、抗精神病薬の効果を実感すると同時に、私は肥満、過眠、傾眠、口渇など、オランザピンの副作用に苦しめられた。再発予防のために飲み続けなければならないが、このままではQOLの低下は免れない。私は主治医に基本薬をアリピプラゾールに切り替えることを提案した。

この薬を飲み始めて2日目、すでに副作用が現れた。1日目は9mg(3mg 3T)を飲んで4時間で目が覚めたが、2日目は3mgを飲んで2時間で目が覚めた1。完全に早朝(深夜?)覚醒である。しかも、目が冴えて、興奮している。また、アカシジアの症状なのか、妙にソワソワする。落ち着かない。なんとなく、脳内シナプス間のドーパミンの濃度が上がったみたいである。軽躁ではないか! そして、思わぬ、嬉しい副作用として、酒を飲む気が起きない。オランザピンは眠り薬とすれば、アリピプラゾールは気つけ薬と言える。後者を飲んだ方が仕事はしやすいだろう。不眠が続くとしんどいが、血中濃度が一定になるまでの辛抱である。それまでには1~2週間かかる。その時、この薬を本当に評価できる。

手もとにオランザピンが20錠残っている。副作用の不眠を緩和するための、頓服の睡眠薬のように使いたい。

ありがとう、オランザピン。


  1. 主治医と相談して、適当に調節して、自分に合った容量を探している。

モニターが死ぬ

メインで使用しているラップトップコンピュータ1のモニターを開閉すると、画面にノイズが走るので、試しにACアダプタ、電池、ディスクドライブなどのすべての周辺機器を外して放電してみた。

一晩寝かせて、再起動したけれど、依然、画面に青い閃光が走る。モニターが接触不良を起こしているのかもしれない。机に据え置きにして使っている分には支障はないけれど、ある日突然、モニターが映らなくなるかもしれないという一抹の不安は残る。「モニターが死ぬ!2

年内に製造元のマウスコンピューターに修理を依頼したい。CPU:Celeron、メモリ:4GBの構成は2017年の購入当時でも貧弱であり、そろそろ買い替え時かもしれないが、私の主なコンピューティングはテキストエディタで文字を打ち、ターミナルを起動して、LaTeXコンパイルするだけなので、高度な演算能力は求めていない。むしろ、この非力なマシンで私は本格的にコンピュータの使い方を覚えたので、徹底的に使い倒したいと思っている。修理はソフトウェアを更新する絶好の機会だ。TeX Liveを2018から2020にアップデートして、次の10年に備えよう。


  1. というか、家にまともに使える機体はこれしかない。

  2. 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で、シャアがアムロとの戦闘中に発した悲鳴。

キャリア意識の形成

私が前の職場から今の職場に、すなわち、特別養護老人ホームから有料老人ホームへの異動が決まった際、同僚の石黒さんは社員食堂で白米を頬張りつつ言った。「もう(介護は)、兼子さんのキャリアになっているじゃないですか」

「キャリア」この言葉が他人から私に投げかけられたのは意外だった。母校の大学の就職課は「キャリア・センター」と呼んでいたが、その名称に対して、学生時代の私は違和感を覚えていた。また、その部署が後援する「キャリア意識の形成」という授業があったが、この講義も至極退屈だった。そもそも、当時の私は政治学を学んでいたにも関わらず、そして、その学問をアリストテレスが、経験の学、実践の学、と定義していたにも関わらず、私は実践知を軽んじていた。軽蔑していたと言ってもいい。私の関心は専ら理論的認識に向けられていた。その性向は今も変わらない。時折、講義に企業家、実業家、活動家、ビジネスマン……が招かれることがあるが、彼らの話は思想的に一貫性がなく、しかも、話すべき種が少ないようだった。現場の経験に密着し過ぎるとつまらない大人になる。その証左のように見えた。

脇道に逸れた。私は今、介護・福祉業界で働いているが、目先の仕事のつまらなさに絶望しないで、この経歴キャリアを大切に育てていこうと思う。それは今所属している会社を一生勤め上げることを意味しない。自分の意志と選択で、自発的に自己陶冶をすることが求められる。例えば、私の場合、新卒で就職したのが、新聞屋、出版社であり、そこでの楽しい思い出が忘れられないので、文筆業、出版業で活路を見いだしたい。また、私はグルメではないが(空腹は嫌だが、粗食は耐えられる)、酒は好きなので、飲食業にも挑戦したい。近頃、巷では「パラレル・キャリア1」という言葉が流行っているらしいが、複数のキャリアを同時に育てることも視野に入れていた方がいい。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは『経済発展の理論』において、企業家は異なる事業を組み合わせることで、革新イノベーションをもたらすと看破した。文筆と福祉、そして、飲食を組み合わせることで、私は世間に対して、何かを訴求することはできないだろうか?


  1. 製造業中心の高度経済成長時代の終身雇用制は中小企業の下層労働者の場合完全に崩壊したのだから、企業が労働者に副業、兼業を勧めるのは悪いことではないが(むしろ、副業、兼業を余儀なくされていると言うべきか)、この言葉は広告代理店の、ホワイトカラーの手垢にまみれているようで、口にするだけでも胸糞が悪くなる。しかし、それでも使わざるをえないのは、彼らのイデオロギーがある程度、現実と合致しているのだろう。

成人病覚書

痛風

指の関節に赤いブツブツができた。肉を食べ過ぎたり、酒を飲み過ぎた翌日にできることが多い。触ると刺すような痛みを感じる。おそらく、血液中の尿酸が結晶化しているのだろう。痛風の前駆的症状である。

昨年の健康診断では尿酸値は8.5mg/dl。基準値よりも1.5mg/dl多い。その前の健診では9.4mg/dlだったから、慢性的に高い数値で推移している。思い返してみると、去年、左足の親指の母指球が1週間以上痛かった(特に夜勤明けに痛むことが多かった)。歩くのにも難儀するので、骨折か、と思ったが、近所の整形外科を受診すると、ただの関節炎で特別な異常は見られなかった。しかし、ドクターに健診の結果を見せると、「尿酸値が高いね。こいつはね、炎症を悪化させるんだよ。火に油を注ぐようなものだ」と話していた。

今年に入ってから、左足の母指球が腫れることはほとんどないが(それでも違和感を感じることはたまにある)、指の関節に発生する赤いボツボツはやはり気になるものである。今年の健康診断を9月に控えている。依然、尿酸値が高かったら、内科を受診して医師と相談したい。血液中の飽和した尿酸は関節だけでなく、腎臓にも蓄積、結晶化し、腎不全を招く。いま勤めている老人ホームでは、仕事柄、透析治療を受けている患者が多い。腎臓を痛めた人間の末路がだいたいどういうものか知っているので、私は今から腎を冷やしている。職場のナースに相談すると、「薬を飲んで、早めに手を打っちゃいなさいよ。もう若くないんだからさ」と言った。悩んでいる暇があれば、早めに病院に行くことだ。

躁鬱

2017年の夏、私は当時付き合っていた情婦に「あなたは病気です。精神科に行ってください」と言われた。それより以前に、私は自ら進んで精神科を受診したことがあったが、薬をコンスタントに飲み続けるのが嫌だったので(酒を飲み続けたかったので)、精神科から足を遠のいていたが、私はここに来てようやく、自身を躁鬱病患者として認めることになった。それは治療薬として抗精神病薬を受け入れることを意味した。

いま飲んでいる抗精神病薬 ジプレキサ(オランザピン)は鎮静作用が強いので、病気の急性期は有効かもしれないが、病相が安定、寛解してくると、過鎮静に傾く嫌いがある。本来、ヒトとして生きるために必要な、動物的な情熱を鎮静化させてしまうのではないか、と危惧しているのだ。いま手持ちのジプレキサを飲み切ったあと、主治医と相談して、同じく抗精神病薬エビリファイ(アリピプラゾール)に切り替えてみたい。ちなみに抗精神病薬を飲んでいると、自分の生活世界で何か出来事が起こっても、別段、嬉しくも悲しくも思わなくなってくる。このために周囲の人々から落ち着いている、あるいは老成していると見られるが、ただ感動していない丈である。気持ちの浮き沈みを免れているが、これはこれで寂しい。永井荷風はこの心境を次のように語っている。「これから先わたしの身にはもうさして面白いこともない代りまたさして悲しい事も起こるまい。秋の日のどんよりと曇って風もなく雨にもならず暮れて行くようにわたしの一生は終わっていくのであろう1

アル中

不眠と躁鬱が悪化した27歳くらいの頃から、私はほぼ毎日(毎晩ではない。渇けば、朝でも昼でも飲む。酒飲みは時間に頓着しないのだ。とはいえ、私は寝しなに飲む酒、所謂、寝酒が多い)酒を飲んできた。しかも、今の職業、介護に手を染めてから、私の酒量はとみに増えた。ストレスの多い、不規則な労働環境がこれを増長しているように思える。

しかし、近頃、酒を飲む量が減った。以前は読書をするにも傍らに酒瓶を置いていたが、今は急須の茶を飲んでいる。時節柄、酒を飲む機会が減ったこともあるが、酒を漫然と、しかも大量に飲み続けていると、不眠、躁鬱、痛風、下痢など、さまざまな身体/精神症状に襲われることを身をもって知ったのだろう。青年の頃は粋がってウイスキーをストレートで飲んでいたけれども、この頃はトワイスアップで、適当に水を加えて、自身の健康と相談しながら恐る恐る飲んでいる。私は用心深くなった。それが中年というものであろう。


  1. 永井荷風『雨瀟瀟』岩波文庫、1987年、108頁。