ブロガーの先へ

WEB 2.0の伝統

小岩の飲み友達と、鳥勢で焼鳥をつまみながら話していると、
「兼子さんの文章、noteに書いて収益化した方がいいですよ」
と言われた。

www.koiwatorisei.com

しっかりとした文章を書いていると評価されたらしい。それは有難いことだが、noteに記事を書くという話は、医療・福祉に特化したブログを作りたい、という所まで進んだが、実際、いつ開設するかという詳細な点は酔いが回ってウヤムヤになってしまった。

しかし、私がnoteに書くことに気乗りしない理由は、アルコールだけに帰することはできないだろう。

まず、はてなブログ BOOKMANでさえも更新が滞りがちなのに、さらにブログを開設して、少ないリソースを分散するのはいかがなものか。私もいろいろな媒体に書けるほど、ネタが豊富ではないのだ。

また、はてなブログMarkdownで書けるが、一方、noteはMarkdownはおろかHTMLでも編集することはできない。ブラウザ上のGUIエディタのツールバーをマウスでポチポチしなければいけないのだ。これは困る。私にとって、文章を書く喜びはコードを書く喜びと同義なのだ。そのためにはPCのテキストエディタを開いて、キーボードを打鍵し、文字を打ち込まなければならない(ルーズリーフ、あるいはプリント用紙に鉛筆で手書きでも構わないが)1。その過程が好きなのだ。今更、WYSIWYGに戻れない(私はWordをほとんど使わない)。そして、何よりも肝心なことは、ブログのフロントエンドのサービスに頼らず、PCのデスクトップで完結することは、テキストの編集、管理の裁量権を執筆者、編集者が握ることを意味する。

noteの有料記事は閲覧制限がかかっていることもネックだ。基本的にブログは誰でも気軽に、簡単に執筆、閲覧できる、オープンであることによって発達してきた。WEB 2.0の思想である。株式会社はてなも創業の頃から、この理想に賛同して事業を展開してきた。日常的にオープンソースフリーソフトウェアを愛用している私は、はてなを応援したい。株も買いたいくらいだ。そして、私がブログを書く最大の理由は、金を儲けることではない、たくさんの人々に私の文章を読んでほしいのだ。

現行のブログ BOOKMANを質量ともに充実させること。今、私にできることは筆力を向上し、更なる読者を獲得することなのだ。

ブロガーからジャーナリストへ

私が新しいブログを開設するのに二の足を踏むのは、別の理由がある。私はブロガーではなく、ジャーナリストになりたいのだ。

いま、私の文章はこのブログでしか公開していない。その点、私は主観的にも客観的にもブロガーである。

しかし、それでは困るのだ。金を稼がなければならない。名声を獲得しなければならない。そのためには本を書く必要があるのだ。新聞、雑誌にも書き散らす必要があるだろう。Journalistの語源は、世界を探訪し、記録し、編集する者である。ブログに書いているだけでも、この定義に当てはまるが、やはりジャーナリストとしては力不足だろう。執筆する媒体の数に比例して、関心、精通する分野の数も増えていく。それはジャーナリストとしての器を拡げるはずだ。未知の世界に言葉を与える——それがジャーナリストの使命だ。

来年、個人事業主として独立する。文学賞への応募、出版社への持ち込みを精力的に行いたい。


  1. スマートフォン、あるいはタブレットがあれば、仕事でも何でもできると豪語する人がいるが、スワイプはタイピングに比べると、コンピューティングとして退行しているように思える。

身の丈に合わない服

悪夢

午前2時に目を覚ます。

それまで私は夢を見ており、大学の芸術学部に所属して、卒業制作の〆切に追われて、小説を必死に書いていた。しかし、〆切当日になっても、原稿はまったく進まない。

「(原稿は)短歌ならある!」
と切羽詰まって叫び声を上げる私に、学友は、
「いや、それは約束が違うだろ」
と、冷静に反駁する。

原稿はほぼ白紙であるにもかかわらず、私は審査を受けるために廊下で待っていた。教室の奥にある長テーブルの前に指導教官が坐っているのが見える(そのうちの一人は実在する、某出版社で一緒に仕事をしたことがある、鬼編集長である)。私は白紙を握りしめたまま、彼らの前に立った。すると、「もう、この辺でいいだろう」と言う、第三者の審級が聞こえた。

悪夢は終わった。

転向

いつからだろう? 私は小説家を目指しており、私の専門は文学だと考えていた。新卒後、出版社を渡り歩き、なんとなく文学的環境に身を置いていたけど、小説を実際に書いた本数は指で数える程度しかなく、もちろん、投稿したこともない。小説修行の場を探したけれど、見つからないので仕方なく、短歌の結社に入って、5年くらい活動したけど、ここでは小説を書くこととは別の能力が開発された気がする。そんなこんなで、なんとなく小説を書きたいけれど、書けない——書かない、状態が続いている。

私が小説を書きたい、文学を書きたい、と思った時点で放棄した学問がある。——政治学(Politics)である。

大学で4年間、大学院で2年間、この学問を学んだのに、時間と学費の無駄遣いではないかと思われるかもしれない。そのとおりかもしれない。しかし、当時の私は(political Science)のカラカラした無味乾燥な文体では文学は書けないと思い込んでいた。けれども、これは当時の私に起きた事態の半分も説明していなくて、本当の事情は、大学に残れなくなった私は、学問を続けられなくなることに絶望して、政治学を捨てて、文学に逃げたのだ。しかし、荒川洋治が「文学は実学である」と主張するように、文学は由緒正しき学問であるという事実を早々と認識することになる1。私が曲がりなりにも今日まで勉強を続けてきたのは文学のこの性質に負う所が大きい。

今、私は小説よりも伝記を、あるいは政治学思想書、理論書を好んで読む。私の関心は文学から政治学に回帰——転向した。一時は小説家を志したものの、小説は私の身の丈に合わなかったのかもしれない。けれども、文学と完全に縁が切れたと思えない。小説を上衣とすれば、文学は下着のようなものだ。私は物事の厳密な定義をあまり好まない。お話し好きの私にとって、話し言葉と書き言葉は車の両輪なのである。文学はいつまでも私に、溌溂、優美な気風を与え続けるだろう。私は文士ジャーナリストを目指しているが、自然、政治(Politics)を語ることが多くなるだろう。文士はエキスパートであると同時にアマチュアである2。しかし、もし専門があるとすれば、私の場合、政治学である。評論、評伝、記事を書くことが私の仕事の中心になるはずである。そして、余技として、小説を短歌を記すのだろう。


  1. 文学はしばしば人文科学に分類されるが、文学は科学なのかはなはだ疑問である。文学の楽しみは、普遍的客観的真理を発見するのと同等に(あるいはそれ以上に)、個人的主観的経験を理解することにある。

  2. エドワード・サイードの知識人の概念に相当する。

本妻の周辺

今、私が自宅で使っているコンピューターのOSはWindows 10なのだが、昨夜、思い切って、デスクトップ環境を見直した。すると、こうなった。

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タスクバーに置く項目はWindowsのスタートボタンのみに絞った。お気に入りのアプリケーションをごちゃごちゃ置かず、現在、走らせているプロセスだけが表示されることになる。また、今まで放置していたスタートメニューを次のように整理した。

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それぞれのタイルに使用頻度の高いアプリケーションを置いた。キーボードのWindowsキーで呼び出すので、タスクバーに置くよりも一手間かかるが、慣れてしまえばどうということはない。

しばらく使っていると、Windows XPを使っていた頃を思い出した。このOSで初めて、Microsoftはタスクバーにアプリケーション・ランチャーを設置したけれども、だいたいの操作はスタートメニューを開いて始めていた。

思い返せば、ランチャーの概念はmac OSが普及させたが、この機能を中途半端に取り入れたWindowsはシンプルであることを放棄して、むしろ、使いにくくなってしまったのではないか(一方、mac OSのデスクトップを徹底的にパクったUbuntuのUnityの方が使いやすかった)。Windowsは「シャットダウンするにもスタートボタンを押さなければならない1」と嘲笑されても、愚直にスタートボタンを押し続けるのが御作法なのだ。それがWindowsのコンピューティングなのだ。

そんなことを書いていたら、Linuxの標準的なデスクトップであるGNOMEKDEXfceも、どれほど進化しても、頑なにスタートボタンが用意されていることに気づいた。私の本妻はWindowsであり、Linuxは一号、二号、三号である2。—— I love Windows and Linux.


  1. しかし、プロセスとして考えると、矛盾していないのではないか。

  2. WSL(Windows Subsystem for Linux)のUbuntuを愛用しているが、やはり、コンソールに閉じ込めておくのは可哀そうだ。デスクトップOSとして堂々と使いたいものである。

立ち読みのススメ

元来の落ち着きのなさのせいか、それとも、抗精神病薬の副作用 アカシジアのためか、容易に原因を特定することはできないけれど、椅子にじっと坐って本を読むのが困難になった。したがって、書斎の中でも、立ったり、歩いたりしながら、本を読むことになった。——つまり、立ち読みである。すると、どうだろう。私の肉体と精神に思わぬ変化が起こった。

まず、眠くならない。体を揺すったり、踵を浮かせて、小刻みに歩き回るので、睡魔に襲われる隙がない。また、腰痛、座骨神経痛になる心配からも解放されている。整形外科の先生が言っていた。「坐ってはいけない。立つのが一番身体にいいのだ」

また、神経ないし精神にも嬉しい影響があった。立ち読みすることにより、思考が活発になるのである。行を追いかけるスピード、頁をめくるスピードが、1.5倍、もしかすると、2倍くらい向上したのではないか。生理的律動リズムにおいて、肉体と精神は連動している。私は今まで遅読であったが、意外な方法で速読が可能になった。思えば、書店でチンタラ立ち読みしている人はいない。客はすばやく行間に目を走らせて、買うべきか否かを判断する。

立ち読みのついでに、立ち書きもできないか、試してみたが、私の机はスタンディングデスクではない、ごく普通の文机なので、すぐに腰が痛くなってやめた。しかし、いつか部屋の間取りに余裕ができたら、導入を検討したい。TeXの開発者のドナルド・クヌースも立ってコードを書いているではないか。

小休止

われわれは悪循環に陥ろうとしている。金がないから何もしないというが、何もしないからこそ金がないのだ1

持病の基本薬を切り替えたことで、一時的に体調を崩したので、今は会社に1ヶ月間くらい業務の負担を軽くしてもらい、静養に努めている。この期間中に薬の量を調整し、徐々に身体を慣らしていくのだ。「静養」と言っても、入院や休職のような大規模なものではなくて、当面の夜勤の中止とシフトの若干の見直しである。働きながら療養するのが、なんだか私のスタイルに合っていて2、仕事を含めた諸々の活動は健康増進に役立つという、私の常識的理解と一致している3

緊急事態宣言が解除されたにもかかわらず、今は外に飲みに行くことはほとんどなく、友達と社交する以外は家に引き籠って読書に専念している。そして、深夜、気まぐれに酒をちびちびやりながら、来年はどんなふうに過ごすか考えている。葛飾の陋巷はまだ木枯らしは吹いていないが、私の意識はすでに年の瀬である。コンピューターの電源を点けて、このブログを含めた公開・非公開の日記を更新していると4、私には多分、Journalistの才能があるのではないか、と思うようになった。「夜討ち朝駆け」はJournalistの一側面に過ぎない5。書斎に腰を据えて、伝記を執筆し、隠れた真実を明らかにすることも、Journalistの立派な仕事である。この狭苦しい世間に6、私に与えられた、限られた才能を働かせる路はないのだろうか? そんなことを一人、不器用に巻いた手巻煙草を一喫しながら考えていた。


  1. ジョン・メイナード・ケインズ

  2. 働きながら勉強するのも、今では私のスタイルである。

  3. もちろん、病気と活動の程度次第。

  4. 友達から、私のブログは「日記」であると言われている。

  5. 私はむしろ、そのような不規則な生活は苦手である。

  6. 反対に、世界は広い。

躁鬱ゲーム

基本薬をオランザピン(先発品:ジプレキサ)からアリピプラゾール(先発品:エビリファイ)に切り替えてから、もうすぐ1週間がたつ。

最初はぜんぜん眠れないし、眠れても夢ばかり見るので、発狂しそうになった。しかも、私は薬の切り替えを夜勤前に敢行したので、副作用の影響をもろに被ることになり、2、3日、ほぼ徹夜の状態で夜勤に臨むことになった。今回は命を削っている感じがした。薬の切り替えはイノチガケである。コロナ・ワクチンの副作用なんて、私には屁みたいなものだったけれども、抗精神病薬の副作用は、私にとって重篤な被害をもたらした。同病者諸君、薬のスイッチングは慎重に。

しかし、アリピプラゾールには思いがけない、嬉しい副作用があった。

覚醒

オランザピンを飲んでいた頃は、鎮静作用が強いので、時間が許せば昼過ぎまで延々と寝ていることが多かったが、アリピプラゾールを飲んだ翌日はだいたい朝の4時くらいに覚醒する。睡眠時間が4時間くらいでもかなり元気だ。一口に抗精神病薬と言っても、鎮静系と覚醒系に分かれている事実を私は身をもって知った。オランザピンの鎮静作用は主にドーパミンD2受容体を阻害することによって生じていると思われるが、アリピプラゾールは明らかに前者に比してドーパミンを遮断しないので覚醒作用が強くなるのだろう。低用量だと抗鬱(躁転)、高容量だと抗躁(鬱転)に働く、不思議な薬である。躁鬱病の治療の肝は、躁と鬱の均衡点を発見することである。それまでにけっこう時間がかかる。アリピプラゾールならば、私の場合6mgで安定すると思う。3mgあるいは12mgで落ち着く人もいるから、人それぞれである。ちなみにオランザピンは私の場合2.5mgでも抗躁(鬱転)作用がつよかったので、私は躁鬱の均衡点を見つけることができなかった(ゲーム理論みたいだ)。興奮、混乱、錯乱していても、眠りと(一時の)平和をもたらしてくれる良い薬だったのだが——。

節酒

この薬を飲むと、酒が飲めなくなる。いや、正確には飲まなくなる。今までワインのボトルを1本空ける。あるいは、ウイスキーをグラスで5、6杯空けていたのが、1杯で十分になる。もう、飲めないのではなく、もう、飲みたくないのだ。この経験は私には衝撃的だった。たぶん、以前よりも酒を美味く感じていないだろう。今でも、朝酒、昼酒、寝酒、月見酒、雪見酒を飲むことにやぶさかではないが、それでも1、2杯で終わりである。後は水を飲んで楽しむ。アルコール依存症になるはずがない。私は今まで酒豪をもって任じてきたが、この頃は酒仙の領域に近づいてきたらしい。

躁になると、ふつう食欲、性欲が亢進するので、それに比して酒量も上がるのではないかと思うが、そんな単純な仕組みではないらしい。そもそも、精神病者が酒を飲む動機は、鬱を晴らし、気持ちを持ち上げるためにあるのだから、薬を使って躁転(抗鬱)さえすれば、そもそも酒を飲む理由がなくなるのだろう。——もはや、アルコールの力を借りて、ドーパミンを放出する必要はない。その点、ドーパミンD2受容体を阻害していたオランザピンは、私に却って酒を飲むことを促していたのかもしれない。




アリピプラゾールの副作用は私にとって、仕事と勉強をするうえで良い影響をもたらした。オランザピンが麻薬だとすれば、アリピプラゾールは覚醒剤だ。戦後、文化人たちがヒロポンやベンゼドリンを好んで飲んでいた理由がよく分かる。中年を過ぎても、いよいよ働ける、稼げる感じがする。この薬には金銭の臭いがする。

病気のキャリア

昨夜もアリピプラゾールを3mg飲んだが眠れなかった。素人のくせにバスケットボール部に入るという変な夢を見たが、これはレム睡眠なので、あまり休息していない。夜食を食べた後、自然な眠気に襲われたが、あのまま薬を飲まずに寝落ちした方が却って熟睡できたかもしれない。

眠れないからといって、この薬は効果なし、と判断するのはまだ早い1。睡眠不足でも、精力的に本を読み、ブログを書いている。やはり、薬を切り替えたことで躁転したのだろう。寝不足なので快調ではないが、オランザピンを飲んでいた頃のつねに眠たくて、無気力な状態に比べると、人が変わったようである。今後、ますます増大してくる人生の苦難に対し、強気の姿勢でいられるのだ。やはり、この薬には抗鬱作用がある。

とりいそぎ、今月は鎮静を目的とするために12mgを服用して様子を見る。そして、月毎に9mg、6mg、3mgと漸減して、自分に合った容量を模索していきたい。昔はこんな人体実験のような服用の仕方は耐えられなかったが、今の私は自分の身体を科学的、客観的に眺めることができるようになったのかもしれない。病人としてのキャリアを積んだのだ。不測の事態に対して、私はタフになった。経験主義がここにも生きている。


  1. とはいえ、私が精神科薬を飲む主な目的は眠るためにあるのだが……。